溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか(9)~巨星堕ちる・ソロン田原学氏(2)
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宅建法違反の摘発で用心深さが身につく
ソロンの設立は1969年5月である。スタート時点での商号は地産建設で、戸建て建売が本業であった。出身は須恵町。福岡大学を卒業して西鉄不動産に入社、その後独立した経歴の持ち主である。80年代の初頭、宅建法違反で摘発を受けた。故人にしてみれば法的違反云々で取り調べを受けたという事実は言葉に表すことができないほどの衝撃であったようだ。
会食をする度に田原氏は、「あの当時は若さの勢いで突進することだけを考えていた。脇を引き締めないと経営存続が困難であることを思い知った。高い授業料を払ったが、初めて経営者としての心得を学んだ。それからは、すべての土地取引の立会いから契約書策定まで慎重に慎重を重ねて、自らで行ってきた」と反省の弁を漏らしたものだ。それ以降、法に触れる事態の芽を先行的に潰してきた。それが、前述した高橋利彰氏の役回りであったのだ。すべて用心深くなった。顧問弁護士にも大枚を払うように努めた。地元の大物弁護士を顧問に迎えた。結果、これが幸いする。この件はあとで触れる。用心深さで徹底的調査を受ける
弊社データ・マックスは、1994年1月から営業活動を開始した。当時、田原氏は九宅協(九州住宅宅地経営協会)理事長に就いていた。理事長に次のような告げ口をした会員がいたそうな。「データ・マックスの児玉は東京経済を辞めて独立した。いまから九宅協のメンバーをいじめるはずだ。だから徹底的に成敗しないといけない」と。
当初はそういう背景も知らずに田原氏の呼び出しに勇んで応じた。ところが開口一番、「コダマさん!!『あなたが会社を起こして、うちの会員たちの悪口を書きまくる』と警告を発する奴がいる。一応、会員にアンケートを取るつもりだ。貴方のところも含めた5社の調査会社からいじめられたかどうかの調査だ」と申し渡された。筆者はカチンときて「弱いものをいたぶるために会社を設立したのではない。大悪を征伐するために独立したのである」と啖呵を切った。しかし、田原氏は疑い深い顔でこちらを睨みつけた。
この調査担当を命じられたのが、前記した高橋利彰氏であったのだ。同氏はアンケートを回収したあとに1カ月会員回りをして聞き取り調査も行った。高橋氏からあとで聞いた話。「田原社長から聞かされていたので貴方は悪人であると思い込んでいた。その既成概念で会員さんに会ってみたが、誰からも貴方の悪口を耳にしなかった。意外と善人じゃないか! 田原社長にはその通りに報告した」。
その後、高橋氏からの報告を受けた田原氏は筆者に対する応対姿勢が変わった。親睦感を抱いて接してくれた。地産建設時代に摘発された苦い経験を踏まえた田原社長は、以下の経営信念を披露されたことを覚えている。(1)すべて自分の目で確かめないと物事を決定しない (2)金融機関は特に大切にしないといけない (3)マスコミ関係者・記者さんたちとは友好関係を保つことが大切だ。故人は一度、信ずるとトコトン付き合ってくれる度量の広さを持っていることを知った。高橋氏に救われる
高橋利彰氏は筆者にとって命の恩人の一人である。「よくまあこれだけ打算もなく献身的に尽くしてくれるものだ」と感謝したことがある。「お仏壇のはせがわ」の元社長・長谷川裕一氏が筑紫女学園の理事長に就任したときに詳細既報している。結論から言えば長谷川裕一氏の社長時代に経営姿勢を株主総会で追及した。筆者も無知で総会屋というあらぬ疑いがかかったのである。
このピンチから救ってくれた恩人が高橋利彰氏だったのだ。福岡県警にもいろいろと働きかけてくれたし、さまざまな知恵を授けてくれた。その熱心さには只々、感服の念を抱き感謝するだけしかこちらは能がなかった。縁もゆかりも、利害関係も無い筆者へ無心の貢献をしてくれるのである。恩人である田原社長へはその1万倍の貢献をされていただろうと確信できる。いやあ、田原社長は幸せ者であった。(つづく)
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