溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか(9)~巨星堕ちる・ソロン田原学氏(6)
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ゴルフ場事業バブルと破綻の歴史
昭和60年代になって(1985年以降)、ゴルフ場建設ラッッシュが発生した。ゴルフ会員権販売で資金調達が容易となったために、不動産業の経営者たちがオーナーにならんがために、ゴルフ場建設に励んだ。冷静に考えれば、はっきりしている。「最低100億円の投資(ゴルフ会員権販売で調達)で売上年商5億円程度しか上げられないのに、事業維持は無理」という認識は容易であったはずだ。「加えること、会員権を10年で買い戻します」という条項が設定されていた。
「10年で買い戻すことが命取りになる」――との予見を持てなかったことは、バブルの禍であった。
ある親しいデベロッパーの社長は、ゴルフ場経営に手を出して会社を倒産させた。この社長に尋ねたことがある。「どうして、事業としては報われないゴルフ場経営に手を出すの?」と。彼曰く、「ゴルフ場経営のオーナーになれば、社会的な信用がつくから」という本音の動機を語ってくれた。名誉を求めたのである。しかし、潰れたら信用も何もない、すべて失ってしまう。
もちろん、デベロッパーの経営者の名誉欲だけでゴルフ建設事業がなされるわけではない。ゴルフ会員権を買い求めるお客があったからこそ、資金調達が可能になったのである。
「いやー、ゴルフ会員権を6カ所買ったよ!!」と自慢げに語った、工務店のオヤジの顔を忘れられない。1990年の夏のことであったと記憶している。
どうして買い求めるのか!! それは、会員権が値上がりするからである。福岡周辺のゴルフ場での会員権で、1億円を突破するものも現れた。まさしくバブルである。銀行の犯罪的役割
では、どうして大工さん程度のオヤジが、ゴルフ会員権を6つも買いきれたのか!!
その橋渡しをしたのが、銀行マンである。「社長!!長崎の田舎に当行が融資して、新しくゴルフ場がオープンしました。会員権は700万円です。購入資金は融資しますから、ぜひどうぞ!!」と勧められれば、断る選択はしないだろう。最後の殺し文句は、「必ず値上がりします」である。恐らく銀行には、販売手数料ががっぽりと入っていたのであろう。それから5年後の話である。工務店のオヤジに聞いた。「あの長崎の田舎の会員権の相場はいくらになりました」と尋ねたら、「相場は30万円程度のようだ。売るに売れない」と泣いていた。670万円の含み損になっている勘定だ。6つの会員権の含み損は、合わせて4,000万円と聞いた。その後、この工務店はオヤジの急逝で店を閉じた。ゴルフ会員権をどう処理したかは、わからない。
聞くところによると、日本全体でゴルフ会員権の損切が8兆円から10兆円あると推定されている。大半は、会員権バブルに踊らされた中小企業の経営者だけである。償却するのに10年以上、いや20年かけても償却できない企業の存在も知っておくべきだ。ゴルフ会員権を押し込み売りして融資した金融機関は、知らんぷりの顔に終始している。売りつけた先に「ゴルフ会員権の評価がガタ落ちしていますから、追加担保を出してください」と、よくも冷酷な通知ができたものだ。
ゴルフ場経営を手がけて倒産した工務店の幹部が悔やむ。「うちの社長がゴルフ場をやると口火を切ったのであれば、仕方がないことである。しかし、この事業を最初に持ち込んだのは、メインバンクなのだ。社長は『メインバンクの斡旋だから、うちで引き受けよう』と決断した。結果、本体は潰れてゴルフ場は銀行系列になっている。厳しく諫めるべきであった」。
1985年以降にオープンした福岡都市圏周辺のゴルフ場の大半は倒産し、経営権が他人様へ譲渡された。本業では素晴らしい経営をなしていた企業家たちもたくさんいる。しかし、ゴルフ場経営には失敗した。こちらとしては「惜しかったなー」と口にするしか術がない。このゴルフ場バブルを起こした最大の極悪人は、金融機関であることをもう一度、問いただしたい。
田原氏がゴルフ場を3つ持っていたことはあまり知られていなかった
故人は、ゴルフ場バブルが発生する前の1983年1月に、大分サニーヒルゴルフ場を設立し、稼働を始めた。このゴルフ場は買収案件である。持主は海運業者と言われる。ゴルフ会員権を発行しての、負債を抱えてのスタートではなかった。だから大分事業はスムーズに運営できた。83年という年にゴルフ場を買収したという故人の先見性には、感服する。
田原氏の心境は定かではないが、「福岡でも1つ持ちたい」と念じていたのであろう。1990年、当時の前原町(現・糸島市)にザ・クイーンズヒルゴルフクラブをオープンさせた。さらに92年4月に、熊本県阿蘇市に阿蘇大津ゴルフクラブをオープンさせた。田原氏のゴルフ場経営への傾倒ぶりがよくわかる。短期間で3カ所のゴルフ場オーナーになるのは、稀だ(乗っ取りではなく、一から建設したケースでは)。しかし、栄光が逆さまになることはよくあることだ。田原氏も、ネックとなるゴルフ場経営の圧迫から逃げ出せなかったのである。10年過ぎて、悔やむことになる。
(つづく)
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