2024年11月22日( 金 )

脊振の自然に魅せられて2015(5)

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 「脊振の自然を愛する会」(福岡市早良区)の池田友行代表は、背振の環境保全活動を行ないながら、美しい自然の数々をカメラに収め、写真集「脊振賛歌」を発行した。続編が待たれるなか当連載ではフォトエッセイとして、背振の魅力を紹介する。

撮影よもやま話 2話

 自宅から近く、しかも福岡市の都心から1時間も車で走れば何処かの登山道に辿りつく距離、しかも自然が豊かである。これが脊振山系です。

 脊振の写真を撮り始めた30年まえ、ビデオ機材は、カメラ、デッキと別々の電子機器でした。勤務していた会社(ソニー)が発売した最先端のビデオ機材を中古で手に入れ、山に持ち込んでいました。大きさは、ビデオデッキは当時として活気的なA4版サイズ、カメラは肩に乗せて撮る中型のものでした。当然、ベーターのビデオテープでした。世の中はVHSが主流のように思われていましたが、ベーターもVHSも基本特許はソニーが持っていました。
 また放送局ではベーターカムが世界の市場の90%を持っていました。(この機会に、映像の美しさと編集の便利さが放送局に指示されていたのを知っておいてください)

 今は技術が発展しディバイスもチップ化し、撮像管を使っていたビデオカメラもCCD(電子の目)になりました。そして小型のビデオカメラになり、誰でも簡単に撮影できる時代になりました。またスマートフォンの登場で一気に映像が何処ででも撮れる様になりました。

 技術の話はさておき、『撮影よもやま話』2つです。

ビデオデッキを担いで岩からドスン

 セパレートデッキをザックにいれて、糸島にある洗谷渓谷を撮影し終え沢を下っている時、大きな岩から滑り落ち、思いきり尾底骨を打ちました。息が出来ない程、全身に衝撃を受けましたが、まず、最初に手が行ったのはビデオデッキです。デッキが壊れていないか、担いでいたザックに手を廻すと、外形にヒビが入ったくらいでした。機材は無事と安心した後に、やっと息をして傷みを味わった次第です。自分よりまず機材が大事、これが撮影者の心意気です。

三脚ごと深みへブクブクと

 坊主が滝は曲渕ダムへ行く途中、石釜のバス停から千石の郷(旧国民宿谷)から奥へ入って所に、落差15mの大きな滝です。
 この上部に『滑り台滝』や大きな『二段滝(無名)』があります、夏に会社の先輩夫婦とソーメンを食べに山小屋のあるこの場所へ行きました。ビールを飲みながらのソーメンは格別で、山のご馳走でした。ソーメンを食べ終わった処で、上部の二段滝の撮影のため、三脚にカメラをセットして一人で登って行きました。

 撮影を終えて山小屋に戻る時、大きくて深い2メートル四方の水たまりが有りました。バランスを取るために、枯れ枝を掴んで歩いている時、もしかしたらこの枝は折れるかも知れないと予感がしました。予感は的中し、ポッキーと音がして重い三脚を担いでいた私は、スローモーションで大きな水たまりに登山靴を履いたまま落ちたのです。ドボーンと音がしたかどうかわかりませんが、私はブクブクと水の中でした。もちろん頭も沈み、溺れる一歩手前でした。
 私は必死で登山靴を履いた足で立ち泳ぎをして、水に浸かったカメラを三脚ごと空に向かって水から出しました。まずはカメラ、カメラ。やっと水から這い出た私は急いで先輩のいる場所へ戻り、カメラの蓋を開けて水を出してカメラの保護に努めました。何が起きたか先輩夫婦は知るよしも有りません。
 帰宅しても、エアコンを廻してカメラの乾燥に努めました。長時間エアコンを動かしたお蔭で、今もこのカメラは生きています、いまのデジカメだと完全にアウトです。

 長崎大水害の時、特約店で水の被害を受けたウオークマンを何十台もタライに入れ水道水で洗い、高温乾燥をして何とか動作ができる状態にする努力をしました。このノウハウが生きていたのです。真水で洗うと何とかなります。(泥水、塩水では基盤が腐食します)
カメラはニコンの名機F3です(フルムカメラ)。私の分身でよく言う事を効いてくれるカメラです。デジカメはカメラに振り舞わされるので難儀ですね。

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【やまぼうし】

<池田友行氏プロフィール>
福岡市早良区在住。1944年3月生まれ
西南学院大学ワンダーフォーゲル部OB。ソニーマーケティング(株)退職後、2008年より早良区と共働で、脊振山系道標設事業や脊振清掃登山に取り組み、中心的役割を果たす。
福岡市早良区の野河内渓谷整備に従事中。
「脊振の自然を愛する会」代表
早良区役所主宰の『早良みなみ塾』自然環境分科会代表
写真集『脊振讃歌』著者―やまぼうし

 
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