2024年12月23日( 月 )

【福岡市長選】市議と本紙記者との匿名座談会(1)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 20日に投開票された福岡市長選は、現職の高島宗一郎氏が過去最多得票数を更新して4選をはたした。(株)データ・マックスでは現職の福岡市議会議員を招き、行政記者2名と座談会を実施。動かなかった保守票、野党共闘の功罪、市民の受け止め方などを語りつくした。

※出席者 A:行政記者 B:現職市議 C:行政記者

福岡市長選を振り返って

座談会 イメージ    A記者 福岡市長選挙を振り返ってみたいと思います。野党統一候補が出馬するということで、当初は盛り上がりを予想しましたが、ふたを開けたら現職の圧勝に終わりました。

 B議員 現職の周辺、つまり保守系の中で波風が一切たたなかったことが一番大きいですね。現職の選挙では一回も保守分裂を経験していないことになります。

 A記者 高島市長が2選をかけた2014年の選挙で、北嶋雄二郎さんが自民党市議を辞職して福岡市長選に立候補しましたが、それはどうですか。

 B議員 あれを保守分裂とみるかですね。いわゆる造反といわれる方が自民党市議団にいらっしゃったのかなと。大きな意味での保守分裂にはなっていなかったように思います。ところで、現職が最初に市長選に出た際に、植木とみ子さんという方が出られましたね。

 A記者 元教育長の方ですね。

 B議員 そう。告示後の選挙戦の途中で撤退を表明するという前代未聞の。

 A記者 あれからおかしいですよね。降りたというか降ろされた・・・あれは誰が絵を書いたのかな・・・

 B議員 それはやはり、大きなところですよね・・・

 A記者 現職が最初に出たとき、まだ太田誠一さんとかいましたね。古賀誠さんも応援に来られたりして。その後両氏の引退でだんだん麻生さんの影響力が強くなっていった。

 B議員 つかずはなれず順調だったのが最初にボタンの掛け違えになったのは、井上貴博さんが衆院選福岡1区で当選した時ではないでしょうか。

 A記者 2012年の選挙時は、自民党県連は、現在、参政党福岡支部長をつとめている新開裕司さんを当初公認していました。

 B議員 2012年の際は井上さんに差し替えになって、新開さんは比例に回った。そして2014年のときは、1区の公認問題の決着がつかずに、双方無所属で出て勝った方を公認とするとなった。麻生・安倍ラインで。その時当然、市議団は、東区、博多区と市議がいるわけじゃないですか。どちらかというと東区の先生方は、割と新開さんを応援していた。博多区の議員は、割れたみたいなんですよね。そこで、うちの市長さんに、どちらにも肩入れするなといわれたらしいんです。ところがふたを開けてみたら井上貴博氏の方にだけ応援に行って、「どういうことだ」ということになったのが最初の掛け違えですね。

 A記者 市議団が抗議文を出されていましたよね。

 B議員 その後、市議は改選でしょう。ある市議さんは民主系から自民党へ。市議団が入れたようです。市長は記者会見で説明されたほうが良いのではないかといわれていましたね。そのことで、その同僚議員は、新聞などに掲載されて、支持者に説明する手間も省けたようです。対決姿勢から始まったわけではなかったのですが、ボタンの掛け違えが、そのあたりから始まりました。その時期、自民党の部屋(会派)の雰囲気は、「高島を絶対許すな」という雰囲気があって、そう後継者に言い渡して引退された方もいらっしゃいました。

 A記者 そういう流れがあったのですね。

 B議員 空港(出資)の問題もその流れからですね。黙ってみていたら俺たち大恥かくよという話が高まり、部屋のなかでも、ある議員は強硬に主張されました。

 A記者 子育て基金とかと市長はいわれましたが、本来の趣旨は新会社への出資のはずで変でしたね。

 B議員 あれは挑発的で、子育て基金に積むといったらお前ら否決はしきらんめえが、とでもいうような。これこそ、市民はずっと馬鹿にされ続けていると思います。

 A記者 そのあたりがうまいですよね。今回も子ども政策を打ち出しています。

 C記者 演説を聞くだけで、自分も政治に参加しているような思いにさせますよね。庶民の意識に訴えるのがうまい。安倍元総理や小泉元総理、高島市長もそうですね。難しいことはわからないけどこの人なら大丈夫、と思わせるようなアピールの打ち出し方が、この人たちのうまさですね。

(つづく)

【近藤 将勝】

(2)

関連記事