2024年11月29日( 金 )

一刻も早く女性天皇の実現を~皇室をお救いするために(前)

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福博総研 代表取締役 原 崇則 氏

 企業向けに人事労務コンサルティングを手がける福博総研(株)代表取締役・原崇則氏は、「皇位の安定継承」のために女性天皇の実現を訴え、本年12月、敬宮愛子さまの誕生日に合わせて世論を喚起するイベントを計画中である。イベントはSNSを中心に徐々に反響が広まり、皇室を思う人々から協力の申し出が絶えない。なぜ地方のいち経営者がこのような行動を始めたのか。そこには揺るぎなき信念と福岡出身者ならではの理由があった。

上皇陛下が望まれている「女性天皇」

皇居 イメージ    ──安定的な皇位継承の世論を盛り上げるため、12月1日の敬宮愛子さまの誕生日に合わせてイベントを計画されているそうですね。このような行動を起こした理由をおうかがいしたいと思います。

 原崇則氏(以下、原) もともと歴史や伝統文化に関心がありましたが、平成の頃、上皇陛下の行幸に2度も偶然立ち会える幸運に恵まれたことをきっかけに、皇族方への敬愛を深めてきました。

 「皇位の安定継承」について大きな関心をもつようになったのは、平成28(2016)年の、上皇陛下のご譲位のお気持ち表明以来です。このお言葉には、天皇の務めに対する思いや、今後未来にわたって天皇制が安定的に続いて欲しいという願いが込められていました。これに感銘を受け、改めて皇室について調べますと、皇位継承資格者は男系男子に限るというルールと、女性皇族は結婚した場合皇族を離れ一般市民になるというルールにより、次世代の若い皇位継承者は悠仁さまお一人のみという厳しい現実を知りました。

 これは各国の王室と比較しても異常に少ない状態ですし、何より将来、悠仁さまにすべてのご公務とお世継ぎ問題のプレッシャーを背負わせてしまうことになります。そして、悠仁さまに男のお子さまが産まれなければ、皇室は消滅が確定してしまいます。

 また、上皇陛下は、政治干渉にならないギリギリの範囲で「女性天皇」を望まれるお言葉を残されています。たとえば、平成17(2005)年、時の有識者会議が女性女系天皇容認の方向を打ち出した件について質問された時には、「皇室のなかで女性がはたしてきた役割については大きなものがあったのではないかと思います(…)女性皇族の存在はその場の空気に優しさと温かさを与え、人々の善意や勇気に働きかけるという非常に良い要素を含んでいると感じています」と、前向きなご回答をされました。これ以外にも、平成21(2009)年には、悠仁さま誕生後にもかかわらず皇位の安定的継承が難しくなる現状を憂いるお言葉や、「愛子に天皇になってほしい」との陛下のご意向を受けたとの証言が複数出てきております。

 直近では、天皇陛下が2月23日のお誕生日会見にて、「愛子には、皇室の一員として1つひとつの務めを大切にはたしていってもらいたいと思います(…)今後とも愛子を温かく見守っていただければ幸いです」とおっしゃいました。

 私はこのようなお言葉を真摯に受け止め、陛下が望まれる皇位の安定継承のために、女性天皇、女性宮家を何とか実現して差し上げたいと思いました。陛下ご自身が全身全霊をかけて国民と交流されてきたお姿を見て、一庶民として思いに応えたいのです。現在、愛子さまが21歳、佳子さまが28歳となり、結婚適齢期となっております。もしご結婚されれば、皇室が将来なくなってしまう可能性もどんどん高まります。しかしながら、政府も国会も対応策を取らないまま、令和になって5年も経過するのに動きが見られません。そこで、国民的な世論を喚起するしかないと考え、行動を始めました。

安倍政権が断念した「旧宮家復帰」プラン

 ──保守層の方は、男系男子の皇統を守るために、「旧宮家の復帰」を行えばよいという主張をしていますが、なぜ異なる考えになったのでしょうか?

 原 先程も申し上げた通り、皇位の安定継承は待ったなしの問題ですので、もし旧宮家の方が復帰されるのでしたらこちらもいち早く実現すべきとは思います。しかし、大前提として、旧宮家の方が皇室から離れたのは70年以上も前のことですから、現在ご存命の「旧皇族」の方は上皇陛下と同じ世代でかなり高齢ですし、その後生まれたお子様、お孫さまは、生まれた時から国民として暮らしております。つまり、生まれてからずっと、私たちと同じようにお仕事や友達付き合いを自由にしているわけです。その自由や権利を捨てて公務に専念し、常にカメラに追われる皇族になってもいいという方がいらっしゃるでしょうか。

 実際、第1次安倍政権からはや17年経ちますが、このプランは実行されてきませんでした。しまいには、平成31(2019)年3月に安倍首相(当時)自身が国会で「70年以上前の出来事でございますから(…)私自身がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の決定を覆すということはまったく考えていないわけでございます」と答弁し、事実上断念されました。その後の菅政権でも同じような国会答弁がなされています。

 このような経緯から、私は旧宮家の復帰はもはや無理だろうと理解し、女性天皇容認しか道がないと考えました。

(つづく)

【近藤 将勝】


<プロフィール>
原 崇則
(はら・たかのり)
1989年生まれ。福岡市出身。西南学院大学法学部卒。地方公務員、社労士事務所勤務を経て、福博総研(株)設立。社会保険労務士開業。

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