2024年12月22日( 日 )

電通は消え去るのか、それとも…(前)

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『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏

「とんでもない会社だ。(広告業が)実業じゃないのだ。ゆすり、たかり、はったり、泣き落としだ。僅かにそれを会社という企業形態でやっているだけで、まともな人間や地道なものにはやれなかった仕事なんだ」

 これは、関東大震災後に電通に入社し、43歳で社長になって「中興の祖」といわれた吉田秀雄・四代目社長が入社25周年の回顧座談会で語った言葉である。吉田は電通マンの仕事の心得である「鬼十則」をつくったことでも知られる。

 大正時代と比べれば、会社の規模も大きくなり、社員も上品に見えてはいるが、東京五輪疑獄や談合事件が起こってみると、当時と何ら変わっていないのではないかと思えてくる。

 今回の事件で、電通の一強時代に陰りが出るのではないかという声がある。メディアも今までのように電通のいいなりにはならないのではないか。政官もさすがに距離を置くに違いない。

私の「電通」体験談

電通 イメージ    電通のこれからを語る前に、私と電通とのささやかな関りについて触れておきたい。私は1970年4月に講談社入社、月刊現代編集部に配属された。新米編集者でもプラン会議には、何本か案を提出しなければならない。困った私は、社の図書館に行き、手あたり次第に雑誌や企画になりそうな本を貪り読んだ。

 当時も、「電通タブーを切る」「電通の内幕」のような本や記事が多く見られた。私には電通というのは広告代理店という知識しかなかったが、読んでみると、マスコミを意のままに操っている電通を「悪の権化」のように書いてあるものが多かった。

 タブーに挑戦。これを企画として出そう。意気揚々とプラン会議に臨み、電通がらみの企画を何本か出したが、編集長は一瞥するだけでボツにした。

 これは切り口が悪かったのだなと思い、次の会議にも同様の企画を出すが、編集長はハナもひっかけない。終わってから指導社員である先輩編集者に呼ばれ、「お前、電通の企画を出しても絶対通らないからやめておけ」といわれた。「なぜ?」という私の問いに、彼は答えなかった。

 当時、ジャーナリズムの世界には3大タブーというのがあった。「天皇家を表す菊タブー」「創価学会を表す鶴タブー」に「電通タブー」である。その後、菊と鶴への批判はタブーではなくなった。だが、電通だけは東京五輪疑獄が起こるまでタブーであり続け、隠然たる力をもってきたのである。

 その強さを直に感じたのは、私が週刊現代の編集長になってからだった。当時、講談社の広告出稿高はコカ・コーラと同じだといわれていた。扱いは電通雑誌局だった。それだけの額を新聞・テレビ・ラジオに出していたのだから、電通に対しても発言力はあるのだろうと思っていたが、違った。

 広告局というのはあるが、ここはすべて電通に丸投げで、仕事というのは電通の人間とノミュニケーションをはかるだけだった。

 一度、こんなことがあった。たしか「10年後に生き残る会社、死ぬ会社」という企画を進めていた時だった。次週の企画を広告局へ伝えるのは校了間近だが、どこから聞いたのか、広告局のエライさんが血相を変えて、私のところへ怒鳴り込んできた。

 同じ号に、「死ぬ会社」と名指しされている企業の広告が掲載されているというのである。彼がいうには、「電通が怒っているから企画をやめてくれ」。もう校了にしているからできないと突っぱねた。引き下がったが、電通からいわれたのであろう、何度も来ては同じことを繰り返した。

 私も気の長いほうではない。「そんなに電通が怒っているのなら、俺が会って話をつける」といった。すると、「お前が出て行くとまとまる話も壊れるから」と会わせなかった。結局、これからこうした企画をやる場合は事前に広告局に話してくれ、そうすればその特集のなかにある企業の広告は次号に回すから、ということでそのときは終わった。

 私が強く出られたのは、当時は現代が売れていたのと、講談社が有力な広告主でもあったからだが、新聞やテレビは電通に全面的に依存していたから、電通の威光には逆らえなかっただろう。

「二度おいしいビジネス」の確立

 有名な話がある。テレビ朝日が低迷していたころ、社運をかけて久米宏の『ニュースステーション』を始めた。だが、夜10時からのニュース番組にスポンサーがつくのかと危惧された。当時スポンサー料は6億円といわれたが、電通はこれを一社で買い切ったのである。

 そうなれば売れる番組にするために内容にまで口を出すのは当然だった。久米が最後の放送で、電通の名前を出して礼をいったのは、そういう経緯があったからであった。

 電通の仕事のやり方を、私の友人は「利益相反ビジネス」といった。万博から五輪まで、国家的イベントに最初から入り込み、テレビに売って、その番組のスポンサーを電通が集める。友人はこういった。

「電通が二度おいしいビジネスを確立した。イベントの代理人も務め、メディアの代理店も務める。それが行き着いたのが東京五輪だった」

 その典型が、国立競技場を立て直すのを機に、秩父宮ラグビー場や神宮球場も建て替える「明治神宮外苑再開発」だと思っていた。都心で唯一残った広大な地域を東京五輪という大イベントを隠れ蓑にして再開発すれば、大手ゼネコンから莫大な仲介料が電通の懐に転がり込む。東京都民から批判が出ているが、メディアはあまり取り上げないから、知らない人も多いに違いない。

 いかにも電通らしいやり方だと思った。しかし、そうではなかった。『電通の正体』(金曜日刊)を読んでいたら、電通が再開発に動き出したのは2004年からだという。

 明治神宮が神社本庁と喧嘩して、離脱を表明してすぐのこと。そうなれば神宮外苑の再開発は本庁の規制を受けないで済む。この離脱劇にも裏に電通がいたのではないかといわれているようだが、電通は再開発の企画書を手に大手ゼネコンを回り始めたというのである。

 そこには銀杏並木をブランドストリートにする、国立競技場や神宮球場を建て替える、さらに神宮外苑誕生100年に合わせて2026年に五輪誘致するとまで謳ってあったというのだ。
 水面下で進められていたこの計画が、2013年9月に2020年東京五輪開催決定で、一気に動き出したのだ。

 「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…」という鬼十則の一節が浮かんでくる。

(つづく)


<プロフィール>
元木 昌彦
(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。現在は『インターネット報道協会』代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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