2024年12月22日( 日 )

電通は消え去るのか、それとも…(後)

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『週刊現代』元編集長
元木 昌彦 氏

不祥事とコネの塊

電通 イメージ    電通は不祥事の総合商社である。五輪疑獄、談合問題、持続化給付金をめぐる「中抜き問題」と、あきれるほど次々に不祥事が明るみに出てきている。

 2015年には、東大を出て電通に入社した高橋まつり(24)が過労死自殺している。三田労働基準監督署が労災と認定した後、東京労働局が電通本社を抜き打ちで調査した。事件後、高橋の遺族から、社の企業風土を象徴するものだと批判された「鬼十則」を、電通は社員手帳から外した。

 以前は、電通の社員に薬物常習者が多いといわれたことさえあった。事実、そのころは数年ごとに、大麻や覚せい剤所持で逮捕される社員が出た。そのなかには経団連事務総長や防衛庁長官の子息もいた。その1人が1995年の初公判で、「うちの会社では当たり前の話。電通社内ではみんなやっている」と発言して大きな話題になった。

 電通は「コネ通」といわれるように、石を投げれば有名人の子息に当たる。経済界や政界だけでなく芸能人や文化人とジャンルは広い。そんななかに森永製菓前社長(当時)の娘、松崎昭恵もいた。彼女は電通のなかでも花形で、ここの出身でなければ社長になれないといわれた新聞局に配属された。

 その彼女を見初めたのが若き日の安倍晋三であった。安倍家と親交のある濱岡博司・元山口新聞東京支局長が週刊新潮(2018年4月5日号)で、晋三の母親・洋子から、「息子はもう30歳になろうかというのに独身で、良い人いないかしら?」と頼まれ、濱岡が仕事で付き合いのあった電通の人間に相談したら昭恵を紹介されたと明かしている。だが、初めて待ち合わせた場所に、昭恵は50分も遅刻してきたそうだ。濱岡は「時間の観念もないような女と一緒になったら苦労するから、帰ろう」と忠告したが、晋三は「昭恵さんは憧れの人なんです」といって席を立たなかったという。当時の昭恵には電通マンの彼氏がいた。「後に社長になる成田(豊)さんたちが考えを巡らせたんでしょう」(濱岡)、その彼を海外へ赴任させて、結婚の環境づくりをしたのではないかと語っている。

 安倍が頭角を現していくと、電通のなかに「安倍晋三を総理にする会」ができたという。茫洋とした青年が後年、一強といわれる長期政権をつくるのだから、電通の「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的なやり方は間違いではなかったのだろう。

政官財と癒着しマスコミを牛耳る

 電通は「55年体制」ができた年に電報通信社から電通に改名している。電通が政治の世界とつながりを強めたのは田中角栄の存在が大きいといわれる。1972年に角栄政権ができた直後、自民党や官公庁、政府系機関をメインスポンサーに持つ営業部門ができたといわれている。その前年の美濃部亮吉と秦野章との東京都知事選には、自民党が推す秦野の選挙活動をすべて電通が引き受けたという。

 安倍の前に深くかかわったのは小泉純一郎首相だった。小泉にワン・フレーズ・ポリティックスをアドバイスしたのは電通だといわれている。小泉は自民党総裁選に出るとき、電通にプロジェクトチームをつくらせ、戦略を考えさせたといわれる。「自民党をぶっ壊す」「構造改革なくして景気回復なし」というのは、広告マン的発想ではある。小泉が構造改革を推し進め、行政がスリム化すると、持続化給付金のような各省庁の仕事が電通に流れ込んできた。

 政官財に強力なコネクションを持つ電通にとって、メディアを操ることなど造作ないことだった。なかでも、福島第一原発事故が起きるまでは、東京電力や原発ムラから流れ込んでくる年間800億円(本間龍著『電通と原発報道』(亜紀書房)といわれる宣伝広告費を使って、反原発的な論調を抑え込んでいたことは、よく知られている。原発事故が起こってからしばらくは、資金不足でマスコミ操作ができなくなったのだろうか。

 しかし、事故からわずか12年しか経たないのに、第一原発の放射能で汚染された水を海に流す、原発の運転期間を40年から60年に延ばす、新原発の建設を進めるといった政策を進める岸田政権に対して、反対するデモ隊が官邸の周りを埋め尽くすなどということも起きなかった。「電力不足を補うためには原発も必要悪」。そういった世論や空気をつくり出すのが電通の「お仕事」なのである。

 東京五輪を批判させないよう、大手新聞社をオフィシャルパートナーにして囲い込んだのも、電通らしいマスコミ操縦術である。私が推測するに相当な値引きをしているはずである。電通は、自民党だけではなく公明党にも食い込んでいるといわれる。創価学会の聖教新聞を始め、多くの宗教団体をクライアントに抱えているそうである。自衛隊からの出向を受け入れているのは電通くらいではないか。

電通は日本を食いつぶして世界へ

 電通は、イギリスの広告会社大手イージス・グループを買収して海外事業を伸ばし、これだけ不祥事が報じられるなかでも株価は下がっていない。株主たちは電通を見放すどころか、日本的な広告代理店という立ち位置から脱して、海外進出やコンサル事業を推し進めようとしている電通に期待しているように見える。

 博報堂にいた本間龍は『電通と原発報道』のなかでこう書いている。「原発という悪魔の商品販売を目標に狂奔した東電はじめ原発推進団体に比べれば、デンパク(電通・博報堂)に明確な自己の意思などありません。なぜなら広告代理店には売るべき製品があるわけではなく、彼らのレーゾンデートル(存在理由の意、編集注記)は『得意先の課題解決を通じてその対価をもらう代理人』であるからです。」

 これを本間が書いたのは10年以上前になる。その直後に第2次安倍政権ができ、一強体制が長く続いたため、電通は単なる代理人から政官財マスコミまでを動かす力を手に入れたのではないか。政権が代わっても、自分たちが権勢をふるえるよう、電通を外すことができないように画策し、それに成功したのではないか。もはや、政変が起ころうと、大企業のトップが交代しようが、電通は揺るぎもしない。日本がだめなら海外に出ていけばいい。その布石は打った。それが電通の強さではないのか。

 私の知人に電通社内の声を聞いてもらった。「贈収賄事件に関しては、これを歓迎している幹部社員もいるそうです。なぜなら、これで高橋治之元電通理事との縁を切れるからで、高橋と付き合っているとロクなことはないというわけです。」一連の不祥事が起きても、危機感をもっている社員はほとんどいないようだ。

 一広告代理店から総合コンサルタント企業へと変貌を遂げ、世界に飛躍しようとしている電通が躓くとすれば、マスコミの“背信”しかないだろう。電通という呪縛から自らを解き放ち、自らの恥、自己批判を含めて、これまで電通がやってきたことを洗いざらいぶちまけるのだ。そうすることによってしか「電通タブー」はなくならない。

(了)


<プロフィール>
元木 昌彦
(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。現在は『インターネット報道協会』代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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