通勤電車の車内で聞く、ゴトゴトという音が好きな人はいるだろうか?
私は嫌いではない。
坂本龍一の音を電車のゴトゴトに近いと言ったら、反対する人がいるかもしれない。では、ちょっと構えた言い方だが、坂本龍一は、『音楽』のために設けられた特別な時間のための『音楽』より、日常生活で『音』として聞く『音楽』をつくったと言ったら、賛成してくれる人も増えるかもしれない。だが、こんな持って回った言い方は坂本龍一には合わない気がする。
また誰かが坂本龍一を、テレビコマーシャルでよく聞く好きな音楽だったと言ったら、私もその意見に賛成する。テレビが現代人にとって当たり前の音の風景となって以降、そのなかでさりげなく心をつかみ何度も繰り返される日常の音として浸透したCM音楽の1つとして坂本龍一を記憶する人も多いだろう。現代のあわただしい生活のなかで、ふと息をつくとき、さりげなく耳にする音になる音楽を、坂本龍一はさまざまなチャンネルで提案してきた。現代の音楽家として、変化し続けるライフスタイルにおける音楽の位置づけを常に敏感に探り続けた坂本龍一は、音楽家であると同時に鋭敏な現代人として、音楽にとどまらない多様な活動遍歴を重ねてきた。
彼が政治や環境問題について発言するとき、批判する声も多かったと聞く。専門家が自分の城を出て一介の素人として声を挙げることは勇気がいることだ。ところで、前衛的でありつつ時代の要請に応えたポップさを常に音楽に織り込みながら、「伝えること」を試行錯誤し続けてきた彼の音楽を聴くと、一見無機質なテクノ音楽のなかから虚無感とともにパラドックスな勇気が湧いてくる。
ちなみに、最近知ったことなのだが、子どもの頃(40年近く前)、刷り込みのように聴いた『コンピューターおばあちゃん』も、坂本龍一のプロデュースだった。その頃憧れたコンピューターの世界にどっぷりつかった今日の生活を顧みると、坂本龍一の存在の大きさを改めて思い知らされる。
【寺村朋輝】