USJをV字回復させた立役者 森岡氏がハウステンボス再建へ(中)
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大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の業績を立て直したことで知られる森岡毅氏が率いるマーケティング企業が、長崎県佐世保市の大型リゾート施設「ハウステンボス」の運営を支援することになった。「日本を代表するマーケター」として知られる森岡氏の足跡を振り返ってみよう。
後ろ向きに走るジェットコースターが大人気
第1弾ロケットは、大人向けだったUSJを、子ども連れの家族でも楽しめるテーマパークにモデルチェンジすること。「脱映画」の施設を推進。映画主体から「モンスターハンター」や「バイオハザード」といったエンタメ主体への転換を主導した。
後ろ向きに走るジェットコースターや、東日本大震災後の自粛ムードのなかでの「スマイル・キッズフリー・パス」などの集客策はことごとく当たった。
450億円をかけてハリポタエリアを建設
第2弾ロケットは「関西依存集客構造」からの脱却。14年、450億円を投じて映画「ハリー・ポッター」のエリアをオープンした。
森岡氏は『日経産業新聞』(20年8月4日付)で、当時の心境を回想している。
〈ハリポタの総予算はなんと450億円。当時のUSJの売上高の半分を軽く超えていました。無謀な計画にクレイジーと反対されたが、私は需要予測で「開けさえすれば巨額投資は回収できる」と十分な勝算を見出していた。
むしろ大問題はハリポタそのものではなく、14年に開業するまでの3年強もの間、USJはキャッシュを切らさずに生き残れるか、という点でした。
ハリポタ建設のために猛烈に出ていくキャッシュを支え続けられるか。しかもハリポタにほぼすべてを賭けているので、設備資金にお金はかけられません。いかに低コストで乗り切るか。金も人も時間も圧倒的に足りないなかで、集客施策をひねり出し、一発も外せない戦いが始まりました〉
ハリポタは大ヒット。14年度は、悲願であった開業年度に記録した1,100万人の年間集客記録を更新し1,270万人を集客。翌15年度の集客は1,390万人を記録し、東京ディズニーランドを超えて世界4位になった。
16年度も引き続いて集客は前年を上回り、10年の着任以来、毎年100万人単位で集客を伸ばし続け、730万人台から倍の1,460万人まで伸ばした。森岡氏のマーケティングの手腕は高く評価された。
戦略は逆算思考でつくる
森岡氏は前出の日経産業新聞記事において、「戦略は逆算思考でつくった」と述べている。
〈私は戦略を必ず目的から順番に下方展開してつくります。このUSJの3段ロケット構想も最初に1段、次に2段、3段と考えたのではなく、逆なのです。アジア最大のエンタメ会社になる目的を達成する3段目「パークの多拠点展開」をまず考え、それを実現するために2段目「関西依存からの脱却」、それを実現するための1段目「ファミリー集客を強みに変える」と考えていきました。大きな山であるほど山頂から見下ろした方が道筋がよく見え、そしてどんな高い壁でも階段さえつくれば登れるものです〉
第1と第2のロケットは大成功。第3のロケットが「パークの多拠点展開」だ。
15年にUSJの米国大株主と任天堂がテーマパーク展開に向けて合意を結んだ。これは21年に600億円以上を投じたスーパーマリオエリアの「スーパー・ニンテンドー・ワールド」として実現した。さらに、政府や地元の支援を受けるかたちで600億円を投じて、沖縄県北部の国営海洋博公園にテーマパークの新設を計画していた。
だが、USJは15年11月に米ケーブルテレビ大手コムキャストに買収された。資本の変化にともなう戦略の見直しにより沖縄進出計画を白紙にした。
森岡氏は居場所がなくなり17年1月USJを去った。16年12月16日に退任の記者会見を大阪市内で開いた。社長でもないのに、一社員が退任会見を開くのは極めて異例。それほど、森岡はUSJにとってなくてはならない人物と見なされていたことによる。
(つづく)
【森村 和男】
法人名
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