『脊振の自然に魅せられて(番外編)』北海道旭川でスキーを楽しむ(前)
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ここ数年、新型コロナ感染への懸念から、スキークラブでの合宿参加を自粛していた。したがって、近場の大分県九重スキー場へ日帰りで滑りに行く程度であった。加齢とともに日帰りの長距離運転が厳しくなったこともあり、九重スキー場へはスキー仲間と合流して運んでもらっていた。
また、感染状況が少し落ち着いた時点で、飯塚市のサンビレッジ茜に中学生を含む団体の子どもたちを指導するため通う程度であった。サンビレッジ茜は人工芝スキー場で、雪上のスキーと比べて滑りが良くないが、スキーの基本は体感できる。子どもとちと一緒にスキーの楽しみを教えるのが筆者のアンチエイジングでもあった。
スキークラブの福岡スベロー会では、行事部が毎年、九重スキー場、広島のスキー場、北海道遠征などと年間計画を立ててくれる。どの行事に参加するかはクラブ員の自由である。スキークラブは九州では歴史が長く、かつ指導者資格をもっている人も多く、80名程で構成されている。もちろん初心者からの加入も自由である。
筆者がスキーを始めたのは52歳のとき。転勤先の広島でである。取引先のカーショップのオーナーから「スキーに行きませんか」と誘われたのがきっかけだった。
広島のスキークラブで指導を受け、さらに福岡に戻ってから地元のスキークラブに加入し指導を受けた。おかげで、68歳にしてバッチテスト1級に合格した。1級は最上級で、その後は指導員への道となる。やっと1級になったというより、お情けで合格させてもらったのだが。
今シーズン、新型コロナ感染症も落ち着いてきたし、家内の容態も一段落してきたので、元気なうちに遠征しておこうと3月17日〜22日の北海道・旭川のスキー合宿に申し込んだ。
日程、交通手段は個人の自由で、旭川のホテル集合である。政府の旅行支援もあり、行事部が格安でビジネスホテルへ予約してくれた。参加者は男女12人。うち高齢者は筆者を含む男性3人である。
筆者のスケジュールは、18日と19日にスキーを楽しみ、その前後は移動日である。3月17日(金)福岡発・新千歳行きの航空券を早めに予約した。あとはスキー仲間に付いて行くだけである。スキー道具は自宅から宅急便でホテルまで送ったので、バックパック旅行となる。そのため、スキー用にワンパケージのバック(スキー板、ブーツなど道具一式)も新しく購入した。
新千歳から旭川まで札幌駅乗り換えで、仲間とともにJRを利用することになった。新千歳で改札口は交通系のニモカカードで入場した。ところが、列車内の改札巡回で車掌が言うに、「旭川駅では交通系のニモカカードは利用できません。出札証明をもらって現金かクレジットカードでお支払いください」と。訳の分からないまま旭川駅の改札口を出た。ニモカカードで入場したままなので、入場取り消しが必要らしい(これは帰りに新千歳駅で処理してもらった)。
こうして79歳の筆者のスキー合宿が始まった。
翌18日、スキーバスでカムイスキーリンクスへ向かった。札幌も旭川も、ホテル前にスキー専用バス停があるのでありがたい。手荷物は、スキー板とブーツやヘルメットを入れたバックのみである。若い仲間がバスに道具を入れるのを手伝ってくれた。
ホテルから50分ほどでスキー場に着いた。広大なスキー場が目の前に広がっていた。九州近辺のスキー場と違って人も少ない。センターハウスのチケット売り場で60歳以上のシニア料金のチケットを購入し、センターハウス内の隅でスキーブーツを履きゲレンデへ出た。こういう時、「シニア料金」の存在はありがたい。
仲間たちはプロからスキー講習を受けるので、私のみゲレンデに取り残された。とりあえず初心者コースで脚ならしである。スキーリフトに乗った。
筆者は2月に日帰りで広島のスキー場で滑って以来、ひと月ほど間隔が空いていた。滑りの感覚を体に馴染ませるため、何度も初心者コースを滑った。滑りにも慣れてきたので山頂行きのゴンドラに乗る。このゴンドラは山頂へ直行、距離約2,300m、8分ほどで山頂へ届くとあった。4人乗りのゴンドラに1人で乗
車。
ゴンドラが高度を上げるにつれ、下方に広い石狩平野(後で調べた)が見えてきた。山頂から降りてくる黄色いゴンドラとすれ違いながら、ぐんぐん高度を上げる。時おり支柱にかかると、ゴトンとゴンドラが揺れる。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行関連キーワード
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