2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(33)─現代篇(3)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

フロイトを知っていますか?

火山 イメージ    フロイトというと、火山が目に浮かぶ。普段は静かなのに、時にして爆発する火山である。なぜそれが思い浮かぶかというと、フロイトの自我の説明が火山そのものだからだ。

 私たちの自我の内底には熱いマグマがあって、いつも上にのぼってこようとする。それが吹きこぼれないように、自我という殻をつくって抑えようとするのだが、その殻は案外にもろい。それゆえ、家族とか社会とかが外から圧力をかけないと、自我は安定しないのである。

 社会や家族の圧力がなかったとしよう。自我はかたちを成さないばかりか、どろどろとしたものとなり、欲求の赴くままに動くだけで、結局はなにも成さない。意外に思えるかもしれないが、外からの圧力があってこそ私たちの自我は安定し、まともな活動ができるのである。

 外圧が過剰になると、自我の殻は壊れる。すると、地下に溜まっていたマグマが一気に噴き出す。そうなれば暴力沙汰が起こり、後悔しても始まらない。子が親を殺したりする事件は後を絶たない。

 人が社会で生きていくためには、そうした事態を避ける必要がある。マグマである欲求と、社会の外圧とのバランスを実現することが重要である。それを見たフロイトは、外圧を緩和する装置を自我のなかに構築することが必須だと感じた。精神分析という彼の発明はそのための手立てである。

 精神分析は、外圧が自分にどう影響しているかを患者にじっくり見させる機会を与える。患者がこれを機に悟るのは、周囲から言われたことを百パーセント引き受けず、自己の欲求と外圧との調和を図ることが大事だということである。それをやり遂げるには、地下のマグマを少量ずつ噴出させることが必要だとフロイトは教える。そして、噴出量を少なくするには、抑圧された欲求を言語化するのがよいと教えるのである。そうすれば、暴力を振るわずして溜まった感情が表に出る。

 たとえば、会社の上司がうるさいとする。「病的」なほどにうるさいとする。そんなとき、退社後に一杯呑んで、思い切り上司の悪口を言ってみるのがよいのか。フロイトなら、それではだめだという。

 彼なら、その上司が自分を不快にさせる原因をまず探ってみよという。原因は上司にあるのか、それとも自分なのか、それをはっきりさせる。そのうえで、今度はその上司に、上司の態度が不快であることを言葉で伝えるのである。

 これをしない限り、自分の欲求不満は溜まる一方だし、相手は自分に不愉快な思いをさせているとは夢にも思わない。事態は少しも改善されないのである。

 上司に言ったからとて、上司の態度が改まるとは限らない。しかし、上司は少なくとも自分がそう思われていることを知るし、言った方も、言いたいことが言えた満足感は残る。言えた、という喜びはあるのだ。暴力的な手段に訴える前に、これができるかどうか。人生の分かれ目である。

 フロイトの分析は私たちの幻想を打ち破ってしまうことが多い。それゆえ、彼が憎くなることもある。彼自身もそれを知っていて、「私は人間関係の根底には性欲があると主張するものですから、多くの人から嫌われています。でも本当は、愛というものを立て直したいんです」と言っている。愛を性欲に基づくものとして定義し直したのだから、多くの敵をつくった。

 彼は人間精神の根底に性欲を据えた。これには多くの人が抵抗を感じた。しかし、性欲を生の欲求と置き換えたら、誰もが納得するだろう。人が生きるには食欲が不可欠だが、人はやがて死ぬので子孫を残したいと願う。性欲は必須なのである。

 フロイトは多くの人がタブー視した性欲を心の病の原因とした。彼は人間を動物としてとらえ、その動物が必死になって文化生活を営んでいるうちに、自身のもつ性欲を歪んだかたちでしか表現できなくなっていると気づいたのである。この洞察は、社会や文化の在り方を考えるうえでも、個人の幸福を考えるうえでも、極めて重要である。

 彼の声を虚心で聴くには、ある種の勇気が要ることはたしかだ。人間にはエロスすなわち生の本能と、タナトスすなわち死の本能の両方があり、この2つは常に拮抗しあっていると彼が言ったとき、多くの人がこれを拒否したのである。しかし、言われてみれば、彼が正しいような気がしてくる。私たちはかろうじて生きているのであり、一歩間違えば、あの世の住人となるのだ。

 私個人は、よくぞそこまで解明してくれたと感謝の気持ちしかない。彼の信じられないほどの努力のおかげで、心底から生きる勇気が湧いてくるのだ。だが一体彼は、どのようにしてそこまで考えるようになったのか。

 彼に言わせれば、長年神経症の患者を見てきたからということになる。人間はひたすら生きようとする動物であるが、すぐそばに死がひかえていることを知っているし、死んだほうが平安を得られることも知っている。そういう際どい存在である自分を、もう少し直視してみたら、と提案したのである。この提案に合掌。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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