2024年07月16日( 火 )

戻った外国人で活気を取り戻した明洞(ミョンドン)(前)

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日韓ビジネスコンサルタント
劉 明鎬 氏

おしゃれの象徴であった明洞

 筆者はソウルの明洞(ミョンドン)近くで生まれ育った。

 筆者が通っていた小学校の建物は、日本の植民地時代に建てられたもので、当時としては珍しく暖房はストーブではなくラジエーターであったことを、今でも鮮明に記憶している。同小学校は就学児童が少なくなり、ついには廃校となってしまって、現在その場所にはビルが聳え立っている。明洞はその小学校から歩いて5分くらいのところにあり、私にとっては幼い時から身近な場所であった。

 当時、明洞はソウルを代表する繁華街で、大学進学後も有名芸能人を見るために足繁く通ったものである。デパートはもとより、ホテル、しゃれた喫茶店、さらにはビヤホールに至るまで、明洞は当時の文化の最先端を行くところだった。もちろん、ソウルで一番土地価格の高かったところも明洞だったことはいうまでもない。

ソウル 明洞 イメージ    明洞は日本でいえば銀座に当たるような街区で、豪華な食事をするなど、何かを楽しむためには明洞に足を運ばなければならない時代もあった。ところが、韓国の経済発展とともにソウルの人口が急激に増え、その増えた人口に住宅を供給するために、明洞を中心とする旧市街地とは別に、漢川の南に新市街地が開発されることになった。

 旧市街地とは異なり、都市計画に基づききれいに整備された。道路も広く、マンションが多く建てられた。現在、江南は高級住宅地としてソウルの新しい中心となっており、良いレストランや文化施設も集中していて、ビジネスの中心地としても栄えている。一方、明洞は昔の名残を残す街区として観光名所となり、外国人観光客の間で人気ナンバーワンのスポットへと成長を遂げたのである。

 筆者も4、5年前、日本からの来客があったさい、久しぶりに明洞に行く機会があった。久しぶりに行った明洞は、予想だにしなかった光景が繰り広げられていてびっくりした。香港で見た光景のように、所せましといろいろな屋台が並び、人々でごった返していて、あまりの変わりぶりに驚いたのだ。

 こんなふうに、韓国を代表する観光スポットとなった明洞であるが、2019年12月に発生した新型コロナウイルス感染症拡大で外国人の訪問が途絶え、一気に閑散とした街となってしまった。

コロナ以前の明洞と、その後の変化

 コロナ前の明洞は多くの外国人観光客で賑わっていた。当時は中国人の観光客が多く、彼らの「爆買い」に応対するため店員も中国語を話す人がほとんど。韓国人が何かを聞いても返事をしてくれなくて、不満が出るほどであった。しかし、現在中国人観光客の数は減り、日本人、東南アジア人、アメリカ人、ヨーロッパ人など、ここを訪れる外国人客の国籍は多様化している。

 コロナ・パンデミックの発生で外国人観光客の絶対数が激減した明洞は、空室が目立つようになり、賃貸料はコロナ前の半分の水準まで落ちた。1階にある店舗の場合、コロナ前は賃貸料は坪当たり156万ウォンほどであったが、2022年には66万ウォンにまで下落した。こんな状況になってしまって、明洞ははたして復活できるだろうかと危惧された時期もあった。しかし、いまや外国人観光客は戻り、空室も徐々に減って、明洞はかつての活気を取り戻しつつある。

(つづく)

(後)

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