2024年12月22日( 日 )

中国がウラジオストク港を「奪還」 弱体化するロシアの権益に浸食(前)

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共同通信客員論説委員 岡田 充 氏

 日本ビジネスインテリジェンス協会より、共同通信で台北支局長、編集委員、論説委員などを歴任し、現在は客員論説委員を務める岡田充氏による、中ロ関係に関する論考(海峡両岸論152号)を提供していただいたので共有する。

 ロシア民間軍事組織「ワグネル」の反乱劇(2023年6月23~24日)は1日で終わった。この騒ぎをみて思い出すのは1991年8月、ソチで避暑中のゴルバチョフ大統領を監禁した「8人組」によるクーデター。クーデター粉砕で主役を演じたロシア連邦のエリツィン大統領は求心力を一身に高め、この年末のソ連邦解体につながった。ワグネル反乱から「プーチンの終わりの始まり」とみる識者は多いが、プーチンに替わるリーダーはまだ見えない。「終わり」までかなり時間はかかるだろう。ここで論じるのはロシアではない。中国がロシア弱体化に乗じ、ウラジオストク港使用権を165年ぶりに回復したエピソードである。中ロ関係の現在地がよく見えると思う。

ソ連崩壊で「二つの山」築いた中国

 少しだけロシア情勢に触れる。ロシアはソ連邦崩壊から少しも学んでいないように思える。長期にわたって沈滞したブレジネフ体制を経て、ソ連は軍事と科学技術に偏重し、民生と福祉をおろそかにしそれがソ連崩壊につながってゆく。2014年のクリミア併合と22年のウクライナ侵攻も結局、1991年のソ連邦解体による「帝国消失」に起因するのだが、プーチン大統領の軍事依存体質に変化はない。軍事優先体質というならアメリカもまた同様だ。

 天安門事件を経て西側の経済制裁下にあった中国は、ソ連崩壊の経験を詳細にウオッチし続けた。そこから学んだのは、改革開放政策を継続して経済発展を進めて民生・福祉に精力を傾注する一方、政治的には党指導を強化し西側影響力浸透に防衛線を引くことだった。

 レッドラインは、共産党の指導と国家統一の維持の二つ。鄧小平から現在の習近平に至るまで、温度差はあっても「二つの山」への挑戦は許さない基本姿勢は維持してきた。台湾の分離独立に対し武力を行使しても許さない方針も、ソ連崩壊から引き出した教訓だ。

 「ウクライナが敗れれば、中国は台湾に侵攻する」という西側の見立ては、見当はずれもいい謬論。「国家の統一性」維持とは「守り」の姿勢であり、中国の「好戦性」と何の関係もない。

「祖国の懐に」と興奮

ウラジオストク港 イメージ    本題に戻ろう。中国は6月1日からロシア極東最大都市ウラジオストク港の使用権を165年ぶりに回復した。さらに西部国境では、中国とキルギス、ウズベクの横断鉄道計画にゴーサインを出し、ロシアの権益を次々と浸食している。ウクライナ侵攻で衰退が加速するロシアの弱みを突いて「兄弟関係」を逆転しただけではない。ウクライナ危機の最大の受益者は中国と言っていいかもしれない。

 「ロシアによって165年間使用された後、港はついに祖国の懐に戻った」。中国東北部の吉林省と黒竜江省が、省産品を浙江省など沿海地域に出荷する際、ウラジオ港を使用する特例措置が6月1日から認められたことを伝える報道だ。

 かつて中国領だったウラジオが帝政ロシアとの不平等条約によって奪われた、「屈辱の歴史」を雪いだかのような興奮ぶりだ。ロシアはもちろん、太平洋艦隊の基地がある極東最大の軍事拠点の同港を中国に「返還」したわけではない。順序を追って説明しよう。

(つづく)

(中)

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