2024年12月22日( 日 )

ビッグモーターの闇(2)創業者は息子の後継者育成に失敗!!(後)

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 「虻蜂取らず」(虻も取らず、蜂も取らず)という諺がある。あれもこれも両方を狙って、どちらともダメになること。あまりに欲を深くしてかえって失敗する。ビッグモーターの創業者、兼重宏行社長の記者会見は、引責辞任することで幕引きを意図したものだが、終始バカにしたような口ぶりで、かえって火に油を注ぐ結果を招いた。表に出したくなかった息子、宏一副社長の”暴君”ぶりが次々とあぶり出された。

MBAを取得した息子に経営を任せる

 読売新聞オンライン(7月27日付)は『ビッグモーター創業者の長男、損保ジャパンの前身企業に在籍・・・両社の関係焦点に』の見出しで報じた。

 〈兼重宏行前社長の長男、宏一前副社長は、2011年4月から12年6月まで、損保ジャパンの前身企業のひとつ、日本興亜損害保険に在籍し、経理などを担当していた。宏一氏はその後、ビッグモーターに入社した。

 (中略)損保ジャパンは11年から板金や営業、品質管理部門に計37人出向させていた。(中略)ビッグモーターの第2位株主だったこともある〉

 ビッグモーターによる自動車保険の保険金不正請求事件は、損保ジャパンに飛び火することになった。

 宏一氏は1988年7月生まれの35歳。早稲田大学卒業。2010年6月、兼重家の資産管理会社ビッグアセットの取締役に就任。日本興亜損保での武者修行を経て12年7月、ビッグモーターの社長室次長に就いた。15年6月、米国で経営学修士(MBA)を取得。帰国後の15年12月、ビッグモーターの取締役に就任。

 18年頃から宏一氏が社長業を任され始めてから、整備工場に1台あたりの収益14万円のノルマを課すなど、MBA仕込みの数字を求められるようになり、不正が横行していったと指摘されている。

 高卒の叩き上げの創業者は、息子をブランド大学に進ませ、MBAを取得させるのが常だ。だが、理論武装で身を固めた息子が失敗するケースは少なくない。

大和ハウス創業者の御曹司の失敗

ビッグモーター イメージ    その実例を紹介する。住宅業界最大手、大和ハウス工業の創業者、石橋信夫氏の長男だ。大和ハウスの“中興の祖”である樋口武男氏は自著『熱湯経営-「大組織病」に勝つ』(文春新書)で、創業者の石橋信夫氏からの薫陶を綴っている。同書から信夫氏の息子に対する接し方みてみよう。

 1996年に長男・伸康氏が大和ハウスの社長に就任した。米国留学の経験がある持つ伸康氏は、米国仕込みの急激なリストラを実施。300項目にわたる細かな経費削減策をつくり、営業マンに経費削減の目標を達成することを課した。当然のことだが、営業マンの士気は低下。受注は激減し、業績は悪化した。

 米国仕込みの経営理論を、泥臭くドブ板を踏む営業で成長してきた大和ハウスの戦いの最前線に持ち込もうとした。現場のタタキ上げの支店長が「契約を取ってなんぼ」の世界で生きていることに、伸康氏は最後まで思い至らなかった。

 現場の不満を目の当たりにした父親の信夫氏は、息子の伸康氏を更迭。1999年の株主総会で、伸康氏は社長を引責辞任した。信夫氏も取締役を辞任し、名誉会長に退いた。

 後継者づくりに失敗したことは、信夫氏にとって痛恨事だったにちがいない。樋口氏は「(信夫氏は)泣いて馬謖を切るという苦渋の選択をした」と書き留めている。

 大和ハウス御曹司の失敗は、ビッグモーター御曹司の失敗と相似形だ。中小企業の後継者となる御曹司は海外でMBAを取得するのではなく、京セラの創業者・稲盛和夫氏の経営塾「盛和塾」で学ばせた方がいいというのが筆者の持論だったが、その稲盛氏は今はいない。

(了)

【森村 和男】

(前)

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