2024年11月24日( 日 )

元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書・ニューヨーク編(8)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

日本ビジネスインテリジェンス協会
理事長 中川 十郎 氏

大学への転身

教壇 イメージ    NY駐在中、当時の米国は日本との貿易不均衡を解消しようと日本への輸出拡大に熱心で、JETROを通じ、米国各地で対日輸出拡大策セミナーを開催していた。ブラジル・リオデジャネイロ駐在時、仕事で関係があった宇部興産の谷本NY社長、JETROを代表する通産省出身の佐藤所長などと米国各地での輸出拡大策セミナーに講師として参加した。

 大学での講演も会社の得意先から依頼が殺到した。ニュ―ヨーク大学、シラキュース大学、ロチェスター大学、ペンシルベニア市立大学、フロリダ大学などで講演した。

 ロチェスター大学、ペンシルベニア市立大学での講演後、担当教授の自宅に夕食に招待された。書斎で天井までうず高く積み上げられた本棚の本に圧倒された。世の中にはこのようなアカデミズムの世界があることに、30年近く商社で金もうけに奔走していた商社マンとしてうらやましく感じた。ペンシルベニア市立大学の教授宅に招待されたとき、同じく奥さまも教授として学問の道を究めておられることを知った。夕食後、庭園で談笑していたとき、ご夫妻から大学で国際経済、貿易論を講じることを考えたらどうかと勧められた。

 その後、日本に帰国し、スウェーデンのルンド大学での講演の後、 デジエル博士から夕食にレストランに招待された。その席でも、大学に移り、ビジネスインテリジェンスを本格的に研究することを強く勧められた。

 ところで、ニチメン(現:双日)で2年先輩の守誠氏は会社でも英語力が抜群で、羨望の的であった。経営学で著名なドラッカー教授が来日したとき、対談をし、その記事が中央公論に出て、驚いた。守誠氏は商社時代から著作を多く出版しており、なかでも『窓際族』の本は評判になった。モスコー駐在後、筆者と同じ業務本部で活躍。ロシアのダイヤモンドを日本に初めて輸入するなど活躍された。鹿児島出身のニチメン女子社員を奥さまに推薦したことから、個人的にも親しくご指導をいただいた。筆者が海外20年間の駐在から帰国したときは、大学教授に転出しておられた。守誠氏も私に、会社には20年も海外駐在で貢献したのだから、定年前に大学教授に転向し、これまでの海外ビジネスの経験を大学生に伝えることを真剣に考えよと強くアドバイスされた。たまたま1年後輩が人事部に勤務していたので、商社マンを教師に招く大学はないかと極秘で調査を依頼した。

 唯一、名古屋の愛知学院大学が国際的物流通論と貿易英語の教授を公募していると教えてくれた。応募締め切りが7月で、面接が10月とのことで、徹夜で応募書類を作成、ぎりぎりの締め切り日に投函した。結果、面接を経て最終採用が1992年1月に決定。2月に日本ビジネス競合情報専門家協会発会式を挙行。3月末にニチメンを中途退職。4月から愛知学院大学に転職することになった。筆者は商社33年、大学32年、ビジネスインテリジェンス研究32年の3足の草鞋を人生で経験できたことを無上の幸せと感謝している。

(つづく)


<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)

 鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)。

(7)
(9)

関連キーワード

関連記事