2024年12月22日( 日 )

【宮田学園異変シリーズ7】学生獲得に対する並々ならぬ執念 宮田総長inカトマンズ

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カトマンズ イメージ    前回お伝えしたように、宮田学園は目下、日本語学校としての命運をかけた裁判が係属中である。

 宮田学園は2022年9月に、出入国在留管理庁から新たな留学生の受け入れを5年間認めない処分を下されたが、宮田学園の申し立てにより、9月末に処分はいったん停止された。その結果、学園には現在も新しい留学生が入っている。

 しかし、執行停止の仮処分が認められたことは、処分の取り消しを求める本訴訟において、宮田学園が有利であることを示すものではまったくない。

 ところが、執行停止がいったん認められ、留学生受け入れが可能となった翌々月の11月、なんとネパールの首都カトマンズに、75歳の宮田道郎・総長(当時)の姿があったのである。

 宮田総長はもう1人の学園幹部ならびに通訳と一緒にカトマンズ市内の学校を巡回し、宮田学園に対する行政処分は取り消された、留学生の受け入れは可能だ、問題は解決ずみだなどと吹聴していたのである。

 同学園が起こしたベトナム人留学生拘束事件は、日本へ留学生を多く送り出している地域では大変大きなニュースになっており、ネパールもその1つであった。カトマンズには宮田学園の現地事務所があるが、事件が報道された当時、日本へ留学生を送り出しているネパール人の親戚らが心配して大挙して同事務所に押しかけ、大きな騒動にもなっていた。

 おそらくそのようなことを背景に、宮田学園について広がっている悪い噂を払拭し、今後も生徒をどんどん送ってもらえるよう、宮田総長らは動き回ったのであろう。

 宮田学園の生徒獲得にかける熱心さには驚くべきものがある。

 しかし、その生徒獲得の熱心さが、実際に留学生を受け入れた後の日本語教育ならびに健全な学校運営に振り向けられたものであったかは、後の記事で明らかになるであろう。

【寺村朋輝】

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