【追悼】ドラマのような人生を駆け抜けた山本ワイエルフォレスト会長、旅立つ
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ワイエルフォレスト(株)山本亮会長が9月5日、88歳で永眠された。この10年近く癌との闘争を繰り返してきたが、ついに天に召されてしまった。追悼文を書くときは気が滅入るものであるが、山本氏のビジネス人生を回顧するときは違った。本当に人を爽快な気分にさせるビジネス人生の持ち主であった。
経営の社会的使命を貫いた経営者=理念経営を貫徹する力
まず故人の偉業に関する説明から始めよう。山本氏は外材原木の商社から事業をスタートさせた。米材、南洋材を博多港に水揚げして西日本の製材所に納めていた。ピーク時には年商100億円に達していた(1978~81年)。彼の事業はインドネシアの島々の山林を伐採してきたことになるのだが、あるとき、島々の山が丸裸になっているのを機中から目撃して驚愕した。「私はなんと馬鹿なことをしてきたのか。森林のCO₂吸収力をストップさせて、地球温暖化を促進させた犯罪者だ」と激しく後悔し、精神的に参ってしまった時期もあった。彼は「自分が人類文明の破壊者だ」という現実に向き合い自問自答を繰り返すうちに、マングローブの植林再生事業に専念するようになったのである。筆者も10年前にインドネシアに同行したことがある。
危機において強靱なパワーを発揮できる経営者 正にドラマの渦中に生きる
山本氏とは75年3月からの付き合いである。当時、山本木材産業の商号で外材原木を取り扱っていた。78年ごろであったと回想する。原木商社Sに10億円からの不良債権が発生した。業界では「山本木材産業はアウト」という情報が流れた。ところが、為替が円高に転じたことで高収益の決算となった。2期で償却したと記憶している。山本氏のバイタリティは商売ばかりに発揮されたのではなかった。彼は79年ごろからは社員総出で富士山への登山を始めている。そのような山本社長の人柄と会社の販売力を松下貿易が高く評価して、幹部人材を派遣してくれた。このことが会社のレベルアップに寄与した。
85年ごろになるとビジネスのかたちが変わる。規制が強まり原木輸入が流行らなくなり、木材加工品の取り扱いが主流になり始めた。原木扱いに醍醐味を感じていた山本氏は、経営意欲が萎えていた時期もあった。山本氏の唯一の趣味はゴルフ。ハンデはもちろんシングルで、その道を極めていた。
そんなことから、ソフトバンク・孫正義オーナーの実父からゴルフ場新規オープンの資金要請を受け、その投資話に乗った。ところが、ゴルフ場開発は失敗に終わり、結果として本業を停止する事態になった(倒産ではなく整理)。92年前後のことだ。97年ごろまで山本氏の動静は表沙汰になることはなかった。当時(97年)、ITバブルが生じていた。「山本氏が200億円余り握ったらしい」との噂が流れ出した。そのころから山本氏に関する動静も表に出始めた。天神の日本銀行福岡支店に隣接するビルを購入して話題騒然となったのである。
「200億円余り握った」のは、孫氏の実父からの無心に対して担保を取っていたことによる。実父がもっていたソフトバンク株を担保に取っていたのであるが、この株券が大化けし、200億円を超える資金を握ったのであった。その後、山本氏はワイエルフォレスト(株)を通じたマングローブ植林再生事業に専念することとなった。
山本氏が亡くなっても、今後の事業は同社代表取締役社長の阿久根直人氏の陣頭指揮の下に躍進できる基盤が完成している。
48年の企業調査マンとして実績を持つ筆者が知り合った豪傑5氏のうち1人が山本氏である。本当に悔いなきビジネス人生を完遂された故人に感謝の言葉を送りたい。
「経営者魂の本質を学ばせていただき、ありがとうございます」
合掌
児玉 直法人名
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