(株)アダル、武野重美会長が見た上海の「いま」(7)
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広大な工場集積地帯
筆者は「中国で一番、経済的に豊かなゾーンは上海および江蘇省・浙江省地区」だと考えている。経済的に一番の要因は製造工場が密集しているからである。昨年9月のことである。上海から南京までの距離300kmを新幹線で走った。時速350kmで走る列車のなから窓外を眺めると、工場団地がひっきりなしに現れ、田園風景は僅かしかない。
新幹線沿いの300kmには、中国最大の工場集積地区が横たわっているのだ。5年前と比較しても工場の集積が進んでいると感じた。この工場団地誘致に成功した各自治体は、財政的に大いに潤った(成功の直接の要因は世界最大の都市の1つである上海の存在である)。
江蘇省に2、3歩遅れた浙江省のトップたちは下部自治体に発破をかけた。「ドシドシ工場を誘致しろ!!そのためには工場団地の開発を積極的にやれ!!成功すれば自治体の財政は豊かになるぞ!!成功度合いで評価査定を明確にする!」と通告されたのだろう。そうなると各自治体の最高トップたち(ほとんどが中国共産党員)は実績競争に奔走するしかない。浙江省北部に位置する桐郷市の役人たちも実績づくりに躍起になった。
桐郷市はこれといった特色や強みもない、なんの変哲もない都市だ。あるとすれば上海から150kmしか離れていないという地の利だけである。そこで彼らは、誘致企業のターゲットを絞った。「上海から立ち退きを命じられた企業リスト」をまず入手することに専念したという。当然、武野社長のところへも挨拶にきた。
同社長は「松江区から近いな」という判断で桐郷市へ移転することを決めたのだ。この工場団地への誘致が成功した暁にはこの市の財政は余裕をもつことになろう。上記したように各自治体のトップたちは、出世をかけた工場誘致競争を強いられているのだ。
合弁会社の躓き
日本の中小企業経営者が中国で成功する比率は1%といわれる。その比率1%の勝利者・武野社長もここまで辛酸を舐めてきたのだ。現在に至るまでを回顧してみよう。
まず上海への工場建設の背景から説明しよう。日本では平成の初めのバブル崩壊ですべての分野で価格戦争となった。野中氏の業界でも「ただ安ければ良い」という風潮が蔓延していた。同社長は「こんなに価格を叩かれるようでは、我が社が潰れる!」という危機感に駆られた。そこで「中国で製造するしかないな。中国なら上海だろう」という結論に達し、活路を上海に求めたのだ。構えた最初の工場は上海駅北東3kmに位置するところであった。
1996年当時、中国で経営するには合弁会社方式が主流であった。上海の起業家が土地を提供し、日本側は資本・設備・技術を提供して会社を設立させるやり方である。武野社長側は工場稼働の実務を担い、上海側は対外折衝・求人確保という任務分担を鮮明にしていた。
当時の問題点は上海の労働者が工場で働く意味をまったく理解していなかったことだ。まずは手始めに労働モラルから教育を始めなければならなかった。難儀なスタートであった。この労働者教育の難儀さについては武野社長から幾十度も愚痴を聞いた。「もう上海から撤退したら」と助言したこともあった。しかし、同氏の不屈の負けん気と熱意溢れる陣頭指揮で、職場のモラルアップと生産性が高まった。
当然、利益が上がるようになる。そうなると傍観主義で終始していた上海側は利益分配に関して干渉してくるようになっていく。武野社長は「これじゃあ、やってられない。次は独立資本でいくしかないな」と決断した。決別したのだ。合弁でスタートしての4年後のことであった。
(つづく)
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