2024年11月25日( 月 )

【コロナで哲学が変わった(1)】歴史は繰り返す

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 かつて、ヨーロッパで多くの国を巻き込んだ戦争があった。同じころ、スペイン風邪が世界を席巻する。社会は戦争を契機に大きく変わる。先進国では馬車から車、農業から工業化への転換だ。人口増も重なって非農業分野へ多くの労働力が移動する。そんな中、荒廃から立ち直ろうとするようにアントワープオリンピック(1920年)が開かれる。

 それから100年余りが過ぎた。コロナが世界中を震撼させ、そのなかで東京オリンピックが東日本震災復興の名の下で行われた。直後、ロシアがウクライナに侵攻する。この戦争にも間接的に多くの国が参加する。

 「歴史は繰り返す」。古代ギリシャ、ローマの時代から言い古された言葉だ。むろん、変化は時代、環境で違う。が、主役が人間である以上、そこには既視感がある。

 いま、多くの産業でDXが本格化し、さらにAIが加わる革命が始まろうとしている。リアル店舗がネット店舗に、輸送手段が無人自動システムに、その輸送機材もエンジンから電動モーターへ。多くのマスコミが近い将来、大きな労働移動を予想する。

 コロナは、かつての日常を激変させた。「籠りのニーズの発生」だ。外出が感染リスクといわれると、仕事も買い物もオンラインが珍しくなくなった。居ながらにしてことが済む便利なこのシステムはその是非論のなかで、教育界も巻き込んでさらに進む。ある時までゆっくり進む変化の兆しが、あるきっかけで突然加速変化するのもまた歴史の常だ。

小売の変化と近未来

スーパーマーケット イメージ    少子化、高齢化、長く続くデフレ。賃金の低迷による途上国からの来日留学生(実態は労働者)の減少。そのうえこれでもかと賃金の上昇。もはや小売業は従業員の採用もままならない。

 そのなかで最近とみに目立つのが自動レジだ。様々の憶測と評価のなかでもその変化は確実に進行する。理由は2つ。1つは絶対的な人手不足。もう1つは機械の進化と導入コストの低下だ。最初の理由は説明するまでもないが、2つ目の理由は競争とAI進化によるコストの低減と精度の向上だ。

 コストの問題さえ解決すればスーパーマーケットも最終的にはユニクロのように、複数商品の決済を自動的に瞬時に決済できる方法に落ち着くのだろう。さらにAIカートが進化すればレジそのものがなくなる店舗が普通になるはずだ。

食品小売はどうなるか?

 かつては商品にかかるコスト移管の競争だった。一昔まえは、魚や野菜の処理、調理の作業は消費者の仕事だった。スーパーマーケットはそれを代行することで、お客に利便と簡便を提供した。さらにそれは今や調理の分野にまでおよぶ。

 それだけではない。作業場無しで生鮮販売を試みるドラッグストア、ミールキットという料理材料セットの配達業者、ファストフード企業など、その競争も業態を越えて拡がる。世帯構成人数が限りなく1人に近づくこれからは、この複層の競争はさらに過酷さを増す。

 一方、店頭ではモノの値上げがジワリと進行する。加工食品はいうまでもなく、天候不順のため生鮮食品も高い。広範な加工食品の連続値上げはバブル崩壊以降なかった現象だ。これも賃金上昇とともにその体力、競争力が問われる展開になる。

生き残るために
新たな変化を自ら生み出せるか?

 戦後、高度成長前の我が国のある首相が口にしたのは「所得倍増」。極めて明確な目標値だった。

 若年人口増と戦争で破壊された国内インフラの再整備需要、朝鮮戦争特需が相まってウサギ小屋に住む働きバチと欧米から揶揄されながらも、我が国は短期間で世界第2位の経済大国にのしあがった。豊かになるとそうでない世界がよくわからなくなる。

 カネ余り現象で少なくない企業が本業とは何ら関係のない不動産業化し、国内外の土地を買いまくり資産を増やした。やがてその土地が暴落、濡れ手に粟の利益構図が崩壊した。不動産バブルの崩壊だ。

 産業界は家電メーカーに代表されるように価格より機能とばかり、不要なものを付加して高価格になり、中韓のメーカーに後れを取って現在の惨状を招いた。失われた10年はさらに20年、30年を数える。そして今、それが大きく変わろうとしている。

 衣、食、住の多くが値上がりするなか、賃上げがそれに追い付けない。現首相が口にするのは「新しい資本主義」や「明日はきょうより良くなる」といった漠然とした希望だ。そこに力強さはない。

トランスフォーメーション

 ベストの環境対応とは環境そのものをつくり出すことだ。いい例がユニクロだ。カジュアルもコーディネートもロープライスもユニクロ以前にあった。しかし、ユニセックスを加えて客層を飛躍的に拡げた。このことは自らの手で環境を創造したといってもいい。さらに小物、レディスを加え、キッズも足した。

 国内市場の限界を悟って、あえて欧米の高家賃やアジアのカントリーリスクを覚悟の上で海外店舗を作り続けた。それが無ければ、世界の3大アパレルに名を連ねる現在は無かったはずだ。

 変化を自ら作る能力を言い換えると、方向を読む力と転換への決断力だ。世界のトップブランドを例にとれば、自動車が普及する前の馬車の時代にエルメスやグッチ、コーチ。彼らは鞍や鐙、鞭などの馬具をつくっていた。その後、時代が変わり多くの同業がその姿を消す中、皮加工の技術を生かし、さらに周辺事業を付加してファッションブランドにトランスフォームして現代まで生き残る。

 今、我が国の小売企業に問われているのはかつての成功者のような変化を創造する先見性だ。先見の明はもちろん歴史に学びながら今を見るという複眼、鳥瞰的な状況判断から生まれる。コロナで始まった「籠る暮らし」で売上は増加した。さらにウクライナ戦争で燃料、農産物の輸入価格が小売価格に影響し、近来にない売り上げ増に貢献した。しかし、外出制限が緩むとそのメリットも薄くなる。

 そんな中、時間給の改善が報告されるにもかかわらず、実質所得は減少との報道だ。始まった値上げが浸透するにつれ、当然、買い控えも顕著になる。そこにはDX化に加えて新たな価格、サービス競争が生まれる。間もなくやって来るのは団塊の世代がかつて経験した激変以上の大きな変化だろう。

 それは変身できなければ生き残れないレベルの変化だ。ミレニアム世代、Z世代といわれる次の我が国を背負う若者たちの対応力が問われている。

(つづく)

【神戸 彲】

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