【コロナで哲学が変わった(2)】ラグビー経験で培ったリーダーシップの原則
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(株)あおやぎ
代表取締役 青栁 竜正 氏(弁)大野慶樹法律事務所
代表 大野 慶樹 氏(株)如水庵
代表取締役社長 森 正俊 氏ラグビーが盛んな地域柄もあり、福岡には多くのラグビー経験者の経営者がいる。逆境での反発力や組織運営などその体験が事業活動に活かされている例も数多く、経営者として成果を上げる人々の鼎談からその秘訣を紐解こうと鼎談を企画した。話を聞くなかで印象に残ったのは、コロナ禍は多くの事業者にとって数十年に一度の逆境であったが、ラグビーに打ち込んでいた経営者たちは、「ラグビーをしていれば、大したことない」と、逆境をものともせず立ち向かうメンタルをもっていたことだった(編集注:以下、本文は2023年9月25日発刊『I・B』2870号掲載の記事と同じ内容です)。
主体性芽生える競技本質
──皆さんがラグビーと接するようになった経緯はどういったものだったのでしょうか。
大野慶樹氏(以下、大野) 私は兄の影響で高校に入ってから始めました。当時全盛期を迎えていた社会人チーム・新日本製鉄釜石に憧れたのです。日本選手権の舞台・国立競技場で夕陽にたなびく大漁旗は眩しいものでした。釜石の選手たちが中心となった日本代表が強豪・ウェールズと大接戦を演じたときの興奮は今も忘れられません。
青栁竜正氏(以下、青栁) 私はもう少し早くて中学からです。福岡大学ラグビー部出身の父に勧められるなか、入学のタイミングで香椎ヤングラガーズというクラブチームが発足したことが契機でした。
森正俊氏(以下、森) 私もきっかけは父ですが、ラグビーは素人でした。私の長兄は小児喘息に苦しんでいたのですが、父は知人から言われた「そんなものは砂埃のなかを走らせておけば治る」という言葉を真に受けたのです。そんな兄の練習についていくうちに兄弟全員が草ヶ江ヤングラガーズに通うようになりました。小学校時代は練習がきつかったという思いしかありません。
大野 実は私も高校のときは死ぬほど練習をさせられた記憶しかありません。競技として面白いなと思ったのは九州大学に入ってからなんです。九大は国立大学ですが部員は50名ほど在籍していました。そのなかで主体的に汗を流すことでラグビー競技の楽しさを感じるようになっていきました。
それと何といってもラグビーの魅力的なところは際限なく仲間が広がっていくところです。青桺社長とお会いするのは今日が初めてですが、ラグビー界で有名な方ですし、共通の友人がたくさんいます。初めて会ったのに一気に親近感がわきます。この感覚には境界線がなくて国境すら越えていくのを体感しました。
森 たしかに仲間意識は強いスポーツですね。小学校時代の苦しい練習も仲間がいたから乗り越えられました。彼らは人生を通じた盟友となっています。中学生のときには後に母校となる早稲田大学のラグビーが大好きでした。小柄な選手たちが大型チームをなぎ倒していく。幼い私には不思議でなりませんでした。
自分が早稲田大学2年のときは大学選手権に出場したものの4年のときは怪我で大舞台には出られませんでした。先発15人が出場できない仲間の思いを背負って戦ってくれる。それは一生懸命応援したものです。私の福岡高校時代の恩師は森重隆(元日本ラグビーフットボール協会会長)さん。彼は「仲間のために体を張れないやつはラガーマンである前に男じゃない。自分のためでなく仲間のために頑張れ」という指導方針でした。
青栁 極論するとラグビーはタックルした方が有利になりますよね。タックル自体はそこまで痛くはないですが、怖いときもあります。そこで逃げるとチームメイトが困る。1人が外されるとスピードがついてしまうので、どんどん止めるのが難しくなっていく。それに対し、とにかく反射的に飛び込んでいく競技です。
森 タックルが受身になったときには結構痛いですよね。ところが不思議なもので自ら向かって行ったら痛くない。どれだけ技術がすばらしい選手でもタックルしない選手は信用されませんから。
大野 タックルをしに行ってそこで決まればチームにとって良いし、外されればほかの人にカバーしてもらう。逆もしかりで誰かが外されると自分が行って止める。お互いの信頼関係で成り立っているスポーツだといえます。
森 15人と15人が体をぶつけあう。片方は前進しようとする。相手はそれを止めようとする。1人で無理なら2人、3人と束になってかかっていく。ラグビーの競技性はそこにあると思います。
肯定的な発信が成長を促す
森 ラグビーをやってよかったと痛感したのがコロナ禍のときです。2020年4月1日に父の跡を継ぎ、その1週間後に緊急事態宣言が出ました。売上は8割減です。その際に「よし、かかってこい」という気持ちになりました。子ども時代に苦しい練習のなかで「笑え」と指導されたことを思い出します。実際には笑えるはずなどありません。ただ、苦しさの先に喜びがあるということは伝わってきました。思えば私の現役時代は逆境だらけでした。厳しい練習や試合、怪我もありました。でもそれを乗り越えてみるとたしかに成長があったんです。
マネジメントでもラグビー経験が役立っています。大野さんが言われたようにラグビーは自分で主体的に考えて行動するスポーツです。父の時代の如水庵はトップダウン型でどうしても指示待ちや前例踏襲が根付いていました。ちょうど私が社長就任した時期が激しく外部環境が変わる時期でしたので変革を一気に進めました。基本方針は私が出すものの、権限移譲して幹部社員以下に実務を任せました。失敗もありましたがコロナ禍でさまざまなチャレンジができ、とても生き生きと仕事できるようになっていきました。企業体質に劇的な変化が起きたことで22年度は過去最高益を計上することができました。全員で取り組み、結果を出し喜び合う。ラグビーにとても近い感覚だと思います。
青栁 私もサントリー時代に「笑え」ではないですが「ヘッドアップ!」と元日本代表ヘッドコーチのエディ・ジョーンズ氏に言われました。「なんで下を見てるんだ」と。苦しいだけなのですが…(笑)。
コロナ禍では葬祭業の当社も大変でしたが上を向くことを意識しました。業績云々よりもいかに社員の命を守るか。当社には80名ほど社員が在籍していますが、平均年齢が非常に高くクラスターでも発生すれば一大事です。20年に高性能の除菌機器を50台導入し、高名な医師をお招きしてアドバイスもいただきました。
それでも当初はコロナがどういう性質をもっているのか、まったくわかりませんでした。同業者がお断りした葬儀をお引き受けすることもありました。初期には慎重を期して4人の専属メンバーで業務を遂行しました。ご遺体には失礼ながら防護服を着用させていただきました。また、彼らは帰宅せずにマンション住まいです。非常に過酷な業務を負わせてしまいましたが、ある若手から「自分はまだ一人前ではないのに会社の役に立てて嬉しい」と言われたときは私のほうが励まされました。幸いこれまでは感染者を出すことなく過ごすことができましたが、今後も気を引き締めていかなければなりません。
こうした厳しい環境下でしたが、ラグビーを経験したことで率先垂範は身に着いていたのかなと思います。口だけの人は嫌われる世界です。泊まり込みやコロナ禍でのご遺体対応なども当初から進んでやりました。経営の現場ではきついこと、つらいことをまず自分がやることを念頭に置いています。
大野 弁護士業界は他の業界ほどはコロナの影響はありませんでした。逆境といえるほどのものではありませんが、37歳で北海道から福岡に帰ってきて開業したときに顧客がゼロだったことはあります。客観的には厳しい状況だったかもしれませんが、「どうにかなるやろ」と楽観的でした。ラグビーをしていれば、そんなことは大きなことではありません。
弁護士業界は今、過渡期で二極化しています。現状7割ぐらいの事務所が1人か2人の個人事業所。組織化しているところはまだ少数派です。しかし、お客さまからの依頼内容の複雑化、専門化が進むなかで生き残っていくには法人化して業容を拡大することが必要だと考え、弁護士法人化しました。現在は私を含め弁護士7名が在籍しています。ご依頼のうち、9割以上が企業からとなっています。
マネジメントについては九大ラグビー部の監督を経験させていただいたことが生きています。37歳から7年間務めさせていただきました。世代の違う若者たちと触れ合うなかで常に肯定的な姿勢を見せる重要性を学びました。トーナメントで「次負けたら終わりだぞ」と言うのか、「勝ったら次につながっていくぞ」と言うかで受け側の印象はまったく異なります。選手がもっている技術や気持ちの強さなど特徴はさまざまです。なかには大学に入って初めてラグビーボールに触れる選手もいます。彼らは声掛け1つでどんどん成長していくのです。4年生になって大活躍した選手もいました。
実力発揮に必要な「目標」と「共鳴」
森 選手や社員に力を発揮してもらうためには自主的な目標設定が不可欠だと感じます。私は草ヶ江ヤングラガーズの中学生を指導しています。スタートは選手が目標を設定するところからです。一方で早稲田大学は大学日本一になりたいという思いをもった選手が入ってきます。そうした明確な目標に沿ってチームづくりを考えて実行していく。
青栁 私は29歳まで現役でしたが、周囲がいうような格好良いものではありませんでした。常にいつレギュラー落ちするかもしれないという不安でいっぱいです。またサラリーマンとの両立は大変でした。通勤や練習場との往復に1日3時間かかりました。もうとにかく眠くてしょうがない。営業マンとしても成果を出さなければならず、月末などは数字を追い込まなければいけません。ときには練習が終わってから赤坂の会社に戻ることもありました。
こうしたなかで目標を立てて頑張れば叶うということを学びました。私は最初からトップにいたわけではありません。憧れて願って努力して10軍から5軍へと昇格し、そして1軍選手になりました。また、運良く私はレギュラーになれましたが、そう信じた方が頑張れるのは間違いありません。
大野 私がニュージーランドにラグビー留学したときに新鮮だったのは、常に楽しむ意識をもっていること。練習も週に2回で90分間集中します。まず楽しいおにごっこのようなトレーニングからスタートして、そこからレベルをどんどん上げていくのです。選手たちの意欲が非常に高くて、単純に身体能力が高いだけではない強さを感じました。
青栁 広く知られている通り、サントリーは「やってみなはれ」が浸透している会社です。とにかくいろいろチャレンジしています。ビールが何百億円の赤字を出そうが、総合酒類メーカーとしてやっていくんだと継続し続けました。「うちのビールは日本では売れないがドイツでは売れるんだ」とずっと言っていましたから。1度私の担当する取引先が倒産し大きな損失を会社に与えたときもまったく責められませんでした。
当社はお客さまの約半分が家族葬に移行していたこともあって、コロナで業績面はさほど大きな影響はありませんでした。それでも厳しい時期はありました。そうしたときに社員がリーダーシップを発揮しながら工夫してくれました。外注していたギフトの内製化したことなどで、利益を確保することができました。
大野 成果を出すうえで重要なのが価値観の共有だと思います。当社には「日本社会の発展に寄与する法律事務所」という基本理念があります。所属弁護士はその価値観の元に集まってくれています。この基本理念のおかげで内外に当社の姿勢がだいぶ浸透してきたと思います。
森 ラグビーはレフリーの判断には文句を言わないという文化がありますね。プレーが止まる時間が多いスポーツですが、その間何かを言ったりやったりということは一切ありません。ゲーム中やり合ってはいますが、理性的にコントロールされています。終わったら、お互いのチームを称え合う。
如水庵の経営理念の1つに「お菓子は平和の文化、家庭の平和と世界の平和に貢献する」というものがあります。これを全従業員の心の隅々まで腹落ちすれば一層強い集団になっていけると思っています。
青栁 あとキャプテン、会社でいえば経営幹部は大事です。早稲田ではその代のキャプテンの名前でチームを○○組と呼びますから。
大野 九大ラグビー部も早稲田のようなトップチームではないですが、キャプテン次第でチームのありようはかなり変わってきます。
森 私もそれを痛感していて、如水庵は今経営幹部の育成に精力的に注力している最中です。
ワンチームで激動の時代へ
──開催中のワールドカップ観戦のポイントについて教えてください。
森 日本代表がずっと大事にしている一体感を見てほしいです。そして、体の小さい日本代表のスピード、テンポの良さに注目していただけると面白いと思います。国歌斉唱にも着目してください。全員が君が代を声を出して歌います。
大野 ラグビーは一定期間その国でプレーをした人が代表になる資格をもちます。国籍の違う選手と君が代を歌い、日本の代表であることに誇りをもってくれている様子に感動すら覚えます。
森 下川甲嗣(かんじ)選手にも目を向けてください。奇しくもここの3人の後輩(草ヶ江ヤングラガーズ→修猷館高校→早稲田大学)なんです。派手さはないですが、とにかく献身的に動き回る本当に良いプレイヤーです。ほかに垣永真之介選手、福井翔大選手、流大(ながれゆたか)選手も福岡県出身ですので応援していただきたいです。
──高インフレやコロナ融資の返済の本格化など事業環境の悪化が予想されます。どのように対応していかれますか。
大野 現在私はボールをもって最前線を走っている感覚です。まずは自分が突破口を開くんだと。九大でもよく言っていましたが、本番ではトレーニングしたことだけが発揮されるということです。経営においても可能な限り準備をすることが大事だと思います。準備の中身や発想は森社長など経営者仲間の知恵や体験を聞いて学ぶことができます。アンテナを張っておけば何気ない一言が突然腹落ちすることもありますから。結局仲間が大事という結論に戻っていきますね。
そして基本理念同様に大事にしている価値観「3G」を追求していこうと思っています。グッドカンパニー(良い会社、良い仲間)、グッドライフ(社員の幸福の追求)、グッドソサイエティ(社会貢献)。それらを実現するための規模的成長とお客さまのご要望にお応えできる実力を兼ね備えた集団にしていきたいと考えています。
森 当社はコロナ融資の返済が始まりつつあって結構ドキドキしています。ラグビー経験は何も生きてなくて必死です(笑)。ただ、ラグビーで苦しいときに「大丈夫。死なんぜ」と何度も言われました。だから、どんなに経営の現場がきつくても死ぬことはないと思ってあまり深刻に受け止めないようにしています。
現在如水庵では従業員280人がチームで成果を出すことを習得し始めています。今後も部門やグループでコミュニケーションを取って喜びを分かち合ってもらう。生き生きと楽しんで働いてもらう、そういう環境をよりブラッシュアップして彼ら彼女たちを幸せになってもらいたいと思います。
青栁 故人とのお別れは悲しく葬儀とはある面では難しいビジネスです。ただお客さま・ご遺族が後悔のないような良いお別れをさせていただいて、次の人生に歩まれる区切りにしていただきたいと思います。葬儀の1つひとつを大事に積み重ねていきたいと思います。
【鹿島 譲二】
<プロフィール>
青栁 竜正(あおやぎ・たつまさ)
1972年9月12日福岡市生まれ。90年福岡県立福岡高校卒業。97年早稲田大学第二文学部卒業。97年サントリー(株)入社。2001年綜合葬祭(株)あおやぎ入社。10年同社代表取締役就任。大野 慶樹(おおの・けいじゅ)
1969年9月福岡市生まれ。88年3月福岡県立修猷館高校卒業。92年3月九州大学法学部卒業。99年4月ニュージーランドにラグビー留学。2000年4月向井諭法律事務所。07年7月大野慶樹法律事務所創業。11年7月(弁)大野慶樹法律事務所設立。森 正俊(もり・まさとし)
1976年2月13日福岡市生まれ。福岡高校、早稲田大学卒業後、2000年(株)電通九州に入社。16年(株)如水庵入社・取締役副本部長。20年4月に代表取締役社長に就任。現会長、森恍次郎氏の三男。関連キーワード
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