【コロナで哲学が変わった(3)】そごう・西武の売却 セブン&アイの現在・過去・未来(中)
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セブン&アイ・ホールディングス(以下、セブン&アイ)は9月1日、傘下の百貨店そごう・西武を米国投資ファンドのフォートレス・インベストメント・グループ(以下、フォートレス)に売却した。昨年11月に売却を決めてから実施に至る過程ではさまざまな問題が噴出し、売却後のそごう・西武にも暗雲が立ち込めている。経営陣への揺さぶりもあり、イトーヨーカ堂の去就も注目され、まだ事態は流動的だ。
遅きに失した売却決断
そして事態は最終局面を迎える。8月31日、労組によるストライキが西武池袋本店で行われ、同店は臨時休業することになった。百貨店でのストライキが実施されるのは、1962年5月の阪神百貨店以来61年ぶりという異例の事態となったが、同業他社の多くの労組が支持し、顧客も一定の理解を示すなど世間では肯定的な反応が多かった。
だが、遅きに失した感は否めず、これによりフォートレスへの売却が覆ることはなく、セブン&アイは同日行われた取締役会で、そごう・西武の発行済株式の全部を9月1日付で譲渡する契約をフォートレスと結び、9カ月におよんだ売却交渉は決着した。
これほど長引いた原因は、セブン&アイが売却を急ぐあまり、株主優先で、従業員、取引先、地域などのステークホルダーへの説明が不十分であったことが挙げられる。また、フォートレスとの折衝での意思疎通も十分でなく、条件を詰める際に交渉がスムーズに進まなかった。加えて、井坂社長をはじめとする経営陣が、事業売却によるさまざまな面での影響を軽んじるなど、考えが甘かったことも大きい。
そもそも、セブン&アイはなぜそごう・西武の売却に踏み切らざるを得なかったか、過去を遡ってみる。西武百貨店とそごうは、バブル期の拡大戦略による過大投資により、経営が悪化。そこで、2003年に両社は経営統合し、ミレニアムリテイリング(現・そごう・西武)が発足した。経営の合理化や業務改革に取り組んだが成果を出せず、3年後にセブン&アイが買収し傘下に収めた。
当時の鈴木敏文社長は、百貨店を取り込むことでグループ企業とのシナジーを期待するといった表向きの理由を述べていたが、本音は総合流通グループとして体裁を整え、小売業における百貨店のもつステータスを獲得するという渇望が長い間あったものと思われる。
イトーヨーカ堂は、1980年代から2000年初頭にかけてロビンソン百貨店という店舗を手がけていたことがある。ダイエーもパリのプランタンと提携し、東京・銀座に1984年、プランタン銀座を開業したことがある。どちらも百貨店もどきの業態だったが、スーパーマーケットの経営者にとって、百貨店は憧れの対象であり、ステータスを高めるためにはどうしても手に入れたいものだった。
しかし、百貨店市場は長期低落傾向にある衰退業種と目されており、まして問題が山積しているミレニアムリテイリングの経営再建は極めて困難で先行きは不透明であった。
それでも再三、事業再生計画が策定され、限られた資金状況のなかで、改装やMD改革などに取り組んだが結果を出せず、各地で業績不振の店舗の閉鎖が相次ぎ、当初28あった店舗も10店舗と激減した。
この結果に対し、セブン&アイには百貨店経営に精通した人材がいなかったからだと指摘する向きもあるが、そごう・西武、とりわけ西武には優秀な人材も残っており、その指摘は当たらない。むしろ、問題はこうした人材を使いこなせなかったことだろう。また、もともと無理筋の地方や都市部郊外の出店が多く、撤退を余儀なくされたというのが実情だ。
結局、そごう・西武を手に入れて17年後に手放すことになったわけだが、もっと早くに見切りをつければ、傷も少なくて済み、そごう・西武も別の道を歩む可能性もあったかもしれない。
(つづく)
【西川 立一】
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