【由布市問題(6)】お手盛り受給を黙認する由布市 公平な行政はどこにいったか(中)
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日本有数の観光地となった大分県・由布院。由布市は有力な旅館や観光関連団体の動向を配慮するあまり、地域で暮らす住民のことをおきざりにしたかのような歪んだ行政運営を続けている。由布観光の歩みを振り返るとともにその現状をリポートする。
由布観光の立役者
由布市は、2005年に狭間、庄内、湯布院の3町の合併により誕生した。人口は約3万3,000人。市北部の由布院温泉などを擁する観光都市である一方、南西部は大分市のベッドタウンとしての側面ももつ。
「老舗温泉旅館玉の湯と由布市行政による住民いじめ(1)」でも紹介したが、湯布院を一大観光地にまで押し上げた立役者が3人いる。1人は、亀の井別荘の中谷健太郎氏、山のホテル夢想園の志手康二氏、そして玉の湯の溝口薫平氏である。由布院の見どころの1つである「辻馬車」「湯布院映画祭」「ゆふいん音楽祭」を始めたのも、溝口氏の功績である。
玉の湯は1953年に禅寺の保養所として開設。62年に合資会社「玉の湯旅館」が設立され、82年、現在の(株)玉の湯となった。玉の湯は、約3,000坪の雑木林のなかに建物があり、夏場でも清涼感を感じられるように配慮されたつくりとなっている。
溝口氏の長女の桑野和泉氏は、2003年に3代目の社長に就任した。07年から由布院温泉観光協会会長を務め、地元観光業界はもちろんのこと、NHK経営委員や大分大学経営協議会委員、14年6月には九州旅客鉄道(株)の社外取締役にも就任するなど、大分でも名だたる女性経営者として各方面に請われて役職を務めている。
反発する住民
湯布院は観光産業に支えられてきた街といえるが、「由布の地で生活する住民のことを考えていない。何事も観光優先で、住民の暮らしに思いが至らないようだ」「旧挟間町は大分市のベッドタウン、旧庄内町は農業の町だ。観光とはほとんど無縁の地域も少なくない」と反発する住民もいれば、「旧湯布院町でも、行政が気にかけているのは桑野らのグループだけ」と観光行政の在り方に警鐘を鳴らす観光関係者もいる。
地元市議の1人は「由布院の旅館・ホテルなど宿泊施設や飲食店、売店など、観光産業に従事しているのは、旧湯布院町のなかでも4割程度」という。
歪んだ構図
由布観光の問題点は、溝口氏や桑野氏が湯布院のブランド化を進めた立役者であるがゆえに、行政も地元メディアも玉の湯に対して批判的なことがいえなくなったことだ。県外資本が湯布院へ進出する際には、旧湯布院町が制定した「潤いのあるまちづくり条例」が適用され、新たな開発に規制がかけられている。
玉の湯が住民に対して強い態度に出ることができるのは、こうした構造の下に、市長選挙や市議会議員選挙において、旧湯布院町の票が大きく左右するからである。旧湯布院町で大きな影響力をもつ旅館組合とその代表者の桑野氏の意向を無視できない。
玉の湯が行政と一緒になって住民の意向を無視して、長年、住民が所有、管理してきた水路に、玉の湯が運営する施設・サービスアパートメントから出る排水を流す計画を進めることできたのは、由布市のこのような歪んだ観光政策があるようだ。
(つづく)
【特別取材班】
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