2024年12月22日( 日 )

李克強急逝で見せたおろかな報道 政治大混乱に期待するメディア(中)

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共同通信客員論説委員
岡田充 氏

 日本ビジネスインテリジェンス協会より、共同通信で台北支局長、編集委員、論説委員などを歴任し、現在は客員論説委員を務める岡田充氏による、「李克強急逝で見せたおろかな報道、政治大混乱に期待するメディア」(海峡両岸論156号)を提供していただいたので共有する。

路線対立あったのか

 問題は李克強が、3条件に当てはまるかどうか、なかでも①の「党中央の分裂」があったかどうかが最大論点になる。冒頭紹介した記事は、李急逝について「共産党内で市場機能を重視する『改革派』の退潮を改めて印象づけた」と書く。

 さすがに李を改革派とは断定せずに、「いわゆる」を意味するカギかっこを付けて、慎重な表現にとどめている。「習氏との確執」や「政策をめぐる分裂」の明確な証拠に乏しいためであろう。

 李が習総書記に次ぐナンバー2になったのは、2012年の第18回党大会。習はスタート時から、中国がもはや高度成長は望めず、安定成長が「新常態」になる、との認識を明らかにしていた。李もまたこの認識枠組みのなかで、経済運営に当たってきた。

 具体的な経済政策をめぐって意見対立することはあったと想像できるにしても、中央が分裂するような対立関係にあったとは考えにくい。

ワシントンコンセンサスの終焉

 李は、市場の論理に基づく経済改革を進めた朱鎔基元首相に近いとされてきた。しかしその路線は、中国が高度成長を遂げた時代の話だ。米国の一極支配を支えてきた「ワシントンコンセンサス」の終焉というパラダイム転換が進むなかで、李に「市場機能重視の改革派」のレッテルを貼るのは時代の変化という相対化が必要だ。

 ワシントンコンセンサスとは、レーガン・サッチャー時代の1980年代に始まる「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」「民主化」を世界に波及させることによって米一極支配を貫徹させようとするイデオロギーだ。

 しかし2008年のリーマン・ショックは、金融レバレッジ(梃子)商品の開発によって、架空の金融需要を再生産する金融資本主義の限界をさらけ出した。ワシントンコンセンサスのなかで急成長を遂げた中国は、この時4兆人民元の資本を市場に投入し、世界経済を下支えした。ワシントンコンセンサス延命に協力したのだ。

国家と巨大ITの綱引き

 しかしこのモデルの敵は「内」にあった。トランプ政権の登場と、足掛け3年にわたるコロナ禍が、このモデル崩壊を決定づける。トランプは「アメリカ第1」を押し出し、国際通貨基金(IMF)と世界銀行による自由貿易体制と、国際協調という「ワシントンコンセンサス」を否定し、自ら崩し始めたのだった。

 続いてコロナ禍は、世界中に国境を復活させグローバル化に歯止めをかけ、国家の機能と役割を復権させた。[iv]一方、IT革命とAI技術の飛躍的進歩は、米国でGAFA (Google、Apple、Facebook、 Amazon)という巨大プラットフォーマーを生み出し、彼らは国家を超える力を持ち始めた。

 中国でも「アリババ」の馬雲(ジャック・マー)氏の政府批判発言を機に、習政権がIT業界締め付けを開始する。このやり方は、習が進める国有経済の成長と民営経済の衰退を意味する「国進民退」の象徴的手法として欧米は批判する。だが、李が締め付けに異議を唱え、党内に路線対立が生じたという情報はない。

 いま世界では「ワシントンコンセンサス」の崩壊によって復権した国家と「巨大プラットフォーマー」による激しい綱引きが展開されている。「ワシントンコンセンサス」に代わって「ペキンコンセンサス」や「チャイナスタンダード」という新モデルがあるわけではない。

(つづく)

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