【白馬会議印象記】日本人にとって原発とは?―「喉元派」vs「羹(あつもの)派」(前)
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白馬会議事務局代表 市川 周
なぜ、今年の白馬会議(11月18、19日開催)で原発問題を取りあげたのか。今までの会議テーマは「リーマン・ショック」「失われた20年」「3・11」「戦後70年」「人口減少」「コロナ」「ウクライナ」等々、どちらかといえば時事評論型の討議が中心だった。今年は単に時事評論にとどまらず、会議参加者1人ひとりのテーマに対する見識、判断を問いかけた。ここには初回より白馬会議のプロデュースを担ってきた私自身の危機意識があった。
どうする原発
私は戦後間もない1951年の生まれだが、今、この国にある底深い停滞感は一体何であろうか?要は私たちが民族として国家として発展前進していくのを邪魔している阻害問題や未解決問題が横たわっているからではないか。だったらそれらの問題群を棚上げしたままにせず、1つひとつ棚から下して国民的議論をやって行こう。そのための舞台こそが白馬会議の目指すべき役割だとの思いに至った。そしてその1つ目の棚下し案件が原発問題であった。
原発問題―4つの視点
白馬会議では原発問題を4つの視点から議論した。
第1の視点は「大地震と原発事故―過去の教訓にどう立ち向かうか?」の切り口から立石雅昭氏(新潟大学理学部名誉教授)が、大地震に見舞われたときの原発の災害リスクにつき福島の教訓を踏まえながら、地震列島に原発を立地する意味を問いかけた。立石氏は地元で2007年中越沖地震を、そして4年後には東日本大震災を隣県で体験した地質学者として、原発を脅かす最大のリスクが地震であるならば、「日本列島は地震と火山は避けられないが、原発は避けられる」と主張した。
第2の視点は「原発の正義とは?原発訴訟をめぐる司法の役割と可能性」について樋口英明氏(福井地裁元裁判長)が、専門技術主義と先例主義に傾斜してしまった原発差止め裁判の現場から守るべき司法の正義を問い質した。2014年に関西電力大飯原発3・4号機の運転差止め判決を下し、翌年には高浜原発3・4号機の再稼働差止めの仮処分決定を下した樋口氏は、①原発事故の被害は甚大。②それゆえに原発には高度の安全性が求められる。③地震大国日本における原発の高度の安全性とは高度の耐震性のこと。④しかし、日本の原発の耐震性は極めて低い。⑤よって原発の運転は許されない。という5段論法の「樋口理論」で真っ向から原発運転「禁止」に迫った。
第3の視点は「やってはいけない原発ゼロ―人類文明と原子力技術」といういささか挑発的な切り口から澤田哲生氏(エネルギーサイエンティスト・元東京工業大学ゼロカーボンエネルギー研究所助教)が、人類文明の未来を考えるとき、本当に原子力技術をあきらめてしまっていいのか?と問題提起。ゲスト講師4名中、3名が脱原発派という「アウエー状況下」の講演の出だしは強気で日本がグリーントランスフォーメーションをほんとに実現しようとするなら大型原子力発電所を200基新設しなければならないと言い放った。ただし、本音は驚くほど慎重かつ現実的で、既存の大手電気事業者は規制リスク、司法リスクに加えて電力完全自由化による事業リスク拡大で原発新設の意欲も体力も低下したままだという。かつて「原子力立国計画」を高らかに謳った当時の日本政府はどこに行ってしまったのか。3・11を言い訳にしてはならない。政治が腰の据わった原子力政策の舵取りを続けていかない限り、日本のGXはすぐさま暗礁にのりあげると警告を発した。
第4の視点は「原発はほんとにグリーンか?―目指すべき脱炭素化戦略」の切り口から松久保肇氏(原子力資料情報室事務局長・経産省原子力小委員会委員)が、原発ははたして脱炭素化を推進する有力な政策選択の1つとなり得るのかを問いかけた。その主張の根底には、ぬぐい切れない原発への不信が横たわっていた。その理由として、将来ウランの枯渇が進み精練工程でのCO2排出量増加が見込まれること。他の再生エネルギーと比較して計画から建設まで20年はかかり、その間のCO2排出量も膨大なこと。さらに建設期間の長期化がコスト増大にもつながることなどを挙げ、目指すべき未来は100%再エネと徹底した省エネにかかっているとした。
(つづく)
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