シフトライフ、100億円へ王手 樋口社長の経営原点をたどる(後)
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地方市場に切り込む
2007年に実質的な経営者に就いた樋口氏は、「どこから切り込むか」と戦略目標を打ち立てた。市場マーケティングリサーチを行ったのである。結論は地方市場の開拓となった。最初から強運が転がってきたのである。08年にリーマンショックが生じた。とくにアメリカ国内では打撃が大きかった。
この暴風雨で淘汰されたマンション業者は、地方市場で大きな実績を挙げていた企業ばかりであった。地方に供給してきた業者の勢力が消えたので、そこに大きな穴が開いたのである。自ずと地方市場に切り込む流れとなった。学び抜いた結論は「俺にとっての勝負ゾーンは地方だ」であった。
幸運はまだ続く。懇意にしていた(株)第一ゼネラルサービスから「地方の物件をマンション商品にしてくれ」という要請が頻繁にあった。ダックス時代の販売代理のモデルである。長崎市では山頂の岩盤にマンションを建設した。物珍しく感じた筆者は、その岩盤マンションの現場を2回見学に行った。悪戦苦闘したが、完売に漕ぎつけた。樋口社長の故郷・日田市でも売り出した物件が完売した。飯塚市の再開発案件事業にも携わり大成功した。これらの成功体験により、各地区自治体に平然と企画提案できるようになった。この時点、16年7月期は売上高20憶円に迫る事業規模に到達するまでになった。
学び学び抜いての最終決断
ただ、そこから「20億円規模で俺のビジネス人生を終えて良いか」と自問自答を繰り返すようになった。15年頃である。「俺の力を最大に発揮できる環境をどう整備すれば良いのであろう」と繰り返し自問自答し、ある晩ひらめいた。「そうだ。頭のなかから金融リスクへの懸念を取り払えるビジネスモデルを構築すればよいのだ。一心不乱に市場開拓に専念できる環境整備できたなら、5倍程度の事業拡大は可能だ」という悟りにも似た心境に達したのである。
となれば「会社を売却、経営権を譲渡する」という選択となる。樋口社長は経営コンサルなどブレーンたちを招集した。秘密裏に見合いを積み重ねた。最終的に、シフトライフを(株)アスコットに売却、その完全子会社となった。これにより、日常の経営者業務には専念するが、資金繰りからは解放される。地方での事業仕込みとその拡大だけに注力すればよいことになった。これが学びによる最終的な決断である。
「自分の得意技に特化できれば事業規模を5倍にしてみせる」と自分に言い聞かせてスタートを切り最終戦へ挑んだのである。結果は早かった。5年しかかかってないのだ。冒頭で述べたように、「20期目で100億円達成」に王手を掛けたのである。
金融信用が十分な事業体制を確立させて(樋口オーナー体制は放棄)、樋口社長は自分の得意技に注力した。「100億円に王手」を掛ける荒業を駆使できるのは、人間の性根が清々しいからなせる技だ。卑しさが充満する世界では珍しいケースといえる。
(了)
法人名
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