2024年12月24日( 火 )

日米問題の文化的側面(後)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

 海外の日本研究者が日本史に挑む場合、日本の基層文化を考慮に入れざるを得ないのは当然である。どの民族も歴史をもつが、歴史に対する考え方はそれぞれ異なる。それを把握しておかないと、うまく歴史の叙述ができない。

 そのことを端的に表したのが文庫クセジュの『日本史』で、著者のヴィエは冒頭で次のように言っている。「日本は歴史の中にあるが、歴史は日本の中にはない」と。

 残念ながら、この書物は邦訳がない。邦訳されないというところに、すでに「日本的」バイアスがかかっていると思われる。ヴィエの指摘する真実が気に食わないのか。同じことは、丸山眞男も『日本の思想』で指摘しているのだが、日本人が指摘すればこれを受け入れ、外国人が指摘すると抵抗を感じるというのなら、日本人に進歩は期待できない。

 アメリカの研究者、クック夫妻の『オーラル=ヒストリー 戦時の日本』も同様の運命にある。この本は旧日本軍兵士1人ひとりを訪ねてインタビューした貴重な記録に基づいているが、これも邦訳がない。

 クック夫妻はこの本の冒頭でこう言っている。「旧日本軍兵士たちが異口同音に口にしたのは、『戦争がやってきた』という表現だった。彼らには、自分たちが戦争を戦ったという意識はなかったようだ」と。

 これまた丸山眞男が『古事記』を分析して言っていることである。日本人にとって、歴史は自分がつくり出すものではなく、台風や地震のように外からやってくるものだという見解だ。

 さて、本稿は豊下楢彦氏の戦後史論を見ながら日米の文化を考えようというものである。そこで思いつくのが、「非弁証法的な問題解決の方法」とでも名付けたくなる日本文化の特徴である。弁証法とは2つの陣営が対立した場合、互いを否定しあった挙句、第三の立場すなわち両者の立場を総合した立場に到達するというもので、これが少なくとも近代においては世界史の根本原理となっている。一方、この原理にそぐわない陣営もあるわけで、それがたとえば日本なのである。

 日本の歴史が弁証法的に発展してこなかったことは、たとえば神道と仏教の並立構造に現れている。仏教が入ってきたことで土着宗教が神道という名の宗教を形成したのはわかるが、この2つは弁証法に則って対立から総合へと向かうことはなかった。すなわち、日本人の宗教として、土着と外来を総合した新宗教を生むことはなかったのである。このような歴史の形成の仕方こそは、非弁証法的な問題解決の方法の端的な表れである。

 似たような解決法は、実はアメリカにもあった。ヨーロッパ人が移住する前の先住民の文化にそれが見つかるのである。人類学者レヴィ=ストロースは、アメリカ先住民が異なる2つの陣営が対立関係に入ったときの解決法は、弁証法的なものではなく、むしろ共存の可能性を探るものだったと言っている(『野生の思考』)。日本の伝統的解決法も、これに準ずるものなのだ。

日米関係 イメージ    さて、このことが豊下氏の日本戦後史論とどう関わるのかというと、氏の指摘する戦後の日本政府の対米折衝の仕方にそれが端的に現れている。以前も述べたが、氏によれば、吉田茂以下日本政府の代表は、安保体制を構築するにあたって、この体制が日米両国にとってプラスとなるという見方を打ち出していた。何より両国の「協力関係」の構築を促すものだったのである。一方のアメリカは、本当は日本にも一理あると思ったかもしれないが、そのことは臆面にも出さず、あくまでも日本側がアメリカの恩恵に浴するのだという立場を貫いた。アメリカ優位の立場を崩さず、日本を自らの支配下におこうとしたのである。

 このやり方は、野蛮なかたちで、アメリカへの移住者が先住民に対して行ったものにほかならない。ペリー提督が徳川幕府に開国を迫ったときにも、マッカーサーの戦後日本における平和憲法制定や警察予備軍の設置にも、それは現れている。基本的には共存構造を維持したい日本人にとって、大きなショックだったろう。

 では、これを以て、日本文化を尊重しないアメリカは不当だと片づければ、それでよいのだろうか?問題はそう単純でないというのも、まずペリーにしろ、マッカーサーにしろ、えてして停滞しがちな日本に世界史への参入を促したというダイナミズムがある。しかも、ほかならぬ日本も、自身の論理を用いて対外侵出をした過去がある。つまり、自分たちは犠牲者であって加害者ではないという認識は、改める必要があるのだ。

 では、どうすれば今後の日米関係はより良いものになるのか?根底に文化的伝統の決定的な違いがあるだけに、問題は容易には解決しないと思われる。目下のところは、無理に解決を求めるよりは双方の文化の違いを認識することを優先すべきであり、日本とすれば、アメリカに日本的問題解決の方法をアピールするほかないと思われる。

(了)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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