ニトリ社長に似鳥氏が復帰 創業者が終身社長にこだわるワケ(後)
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忍法に「分身の術」がある。1人が複数人いるかのように見せかける術のこと。実業の世界でも「分身の術」がある。創業者が、これぞと思う人物に事業を託す。だが、創業者とその「分身」である後継者との関係性が微妙になり、経営がぐらつく。創業者として実績があるゆえに、「自分ならもっとうまくやれる」と考えて、社長として現場に舞い戻る。
社長復帰した希代の事業家、孫正義氏や柳井正氏
創業者やカリスマ経営者が、いったんは「分身」に事業後継を託したものの、社長に復帰する例は少なくない。
ソフトバンクグループでは、孫正義会長兼社長が15年6月の株主総会で、Googleから招いたニケシュ・アローラ氏を代表取締役副社長に就任させ、自らの後継者であるとしていたが、アローラ氏は翌年には退任させられた。孫氏は、アローラ氏をGoogleから引き抜くため、1年で約165億円もの報酬を支払ったというのだから本気だったのだろうが、たった1年の命だった。
カジュアル衣料ユニクロを展開するファーストリテイリングでは、02年に柳井正会長が玉塚元一氏を後継社長兼COOに指名して経営を任せてみたが、05年に結局あきらめて、柳井氏が会長兼社長に復帰した。それから18年余。23年9月1日、事業子会社ユニクロの社長に塚越大介氏が社長に就任した。柳井正ファストリ会長兼社長のユニクロでの役職は会長兼最高経営責任者(CEO)となった。塚越氏の最大の功績は、ユニクロの米国事業の黒字化だ。塚越氏の下でユニクロの海外事業をさらに成長させる。それを達成できれば、塚越氏は柳井氏の「分身」として、事業後継者になれるが、さてどうなるか。
それにしても、創業者などカリスマ経営者の社長復帰は珍しくない。なぜか。
キヤノンの”中興の祖”は3代目社長の賀来龍三郎氏。カメラ会社のキヤノンの事業多角化に成功し、国際的な優良企業に押し上げた。賀来氏は、御手洗冨士夫氏に経営を譲って会長からも退いたとき、引退を決断した理由をこう語っている。
〈(年をとると)最後に残る楽しみが会社だけになってしまう。(私も年をとった)今では御手洗(毅=創立メンバー)前会長が身を引くことができなかった理由がよく分かる。世間一般の企業でも年寄りが辞めない理由がよく分かる。私も、もうあと数年たてば自分での引退の決断をできなくなっただろう〉(「週刊東洋経済」1997年3月15日号)
賀来氏の発言は、創業者=カリスマ経営者が、経営トップに復帰する理由を端的に示している。「年を取ると、最後に残る楽しみが会社だけになってしまう」からだ。経営トップの最も重要な仕事は「後継者選び」といわれている。バトンタッチをうまくするのは、経営者の責務である。だが、引き際は難しい。名誉と権力と金銭的報酬がともなう地位を自ら退くことは、欲望のかたまりである人間には容易ではないからだ。
晩節を汚したキヤノンの御手洗冨士夫氏
多くの優れた実業家が、引き際を誤って、晩節を汚したといわれた。晩節を汚すどころか、若き日の高名をまったく無にしてしまうことがある。賀来氏の後を継いだキヤノンの御手洗氏はその典型な例だ。
財界総理と呼ばれる経団連会長を務めた御手洗氏は05年、三度キヤノンの社長に復帰した(現在の肩書は会長兼社長兼CEO)。ワンマン経営者には、誰も首に鈴をつけることができない。取り巻きは「余人に代え難し。あなたしかいません」と口をそろえる。サラリーマンの性というやつだ。御手洗氏は賀来氏のように自ら引退するタイミングを逸した。
株主(投資家)から御手洗氏に異議申し立ての声が挙がった。23年3月に開催されたキヤノンの定時株主総会で、御手洗氏の取締役再任の賛成比率は50.59%。土俵際に追い込まれ、解任寸前だった。女性取締役不在を指摘された。そのためキヤノンは、元消費者庁長官の伊藤明子氏を初の女性取締役に起用し、24年3月開催予定の株主総会に臨む。女性取締役という目くらまし作戦で、御手洗氏の賛成比率は回復するか。御手洗氏は齢88歳。老害の域に達している。株主(投資家)がどんな判定を下すかが注目だ。
(了)
【森村 和男】
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