経済小説『落日』(6)回想2
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谺 丈二 著
井坂太一に銀行人生の転機が訪れたのは日本の高度成長が始まろうとしていた昭和40年代の初めだった。
西日本総合銀行に入り、10年余りの地元勤務後、井坂は東京支店転勤を命じられた。東京、新大阪間を新幹線がそれまでの半分の時間で結び、東名高速道路が開通するなど、この国がまさに経済大国に向かい全力疾走を始めたころだった。西日本総合銀行東京支店は新宿にあった。職種は総務担当次長。熱気と若さに溢れる東京の躍動は井坂の渦巻くような上昇志向とまるで双子の兄弟のように良く似ていた。人間の溢れるエネルギーがそのまま盛り場の雑踏に変わったようなこの街を井坂はいたく気に入った。井坂の働きぶりに一段と拍車がかかった。
支店業務の仕事は、地元からの進出企業のサポートに加えて、その取引先のアテンド、大蔵省との接触だったが、当時、九州に本店があり、しかも相互銀行だった西日本総合銀行は東京では文字通り無名だった。女子行員の確保もままならなかった。
総務担当の井坂にとって、女子行員の頭数をそろえるのも重要な仕事だった。採用のためには各学校の就職担当の教員を接待しなければならない。担当教員の強力な推薦なしではいくら銀行といっても無名の同行にはまともな学生、生徒は来てくれない。酒の飲めない井坂だったが、時間、場所、種類を問わず相手からの誘いを断ることはなかった。朝は7時前に出勤し、宿舎に帰るのは深夜というのが井坂の日常だった。たいていのことなら付き合ってくれるというので、就職担当の教師の間で井坂は名の通った存在になった。
当時の銀行は管理部門と営業部門ははっきり分かれていた。直接営業に関係のない総務職ではあったが、井坂は自分から積極的に営業分野の業務にも精出した。
まめな行動で培った幅広い人脈をフルに使って、営業の面でも井坂は支店に大きな数値貢献をした。やがてその手腕が本店に伝わり、井坂は裏方の総務担当の次長から営業に移ると、同時に支店長に抜擢された。当時としては異例の人事だった。
支店のトップになっても井坂の仕事ぶりはいささかも変わることはなかった。典型的な労使協調路線で労務問題が起きにくい銀行の体質もあって、井坂の強引な営業管理はたちまち好業績になって現れた。西日本総合銀行モーレツ支店。井坂の仕事ぶりは半ば皮肉を込めて行内でそうささやかれた。数々の業績表彰を受け、その後数カ所の支店長を経験して井坂は本店の審査部に移る。
「君の熱心な仕事ぶりは役員の間でも以前から語り草だ。これからは、ひとつ私の片腕というところで頑張ってくれ」
審査部次長への内示の受け、挨拶に行くと審査部長の杉本卓郎は大げさに井坂の手をとりながら言った。
それまで一緒に仕事をしたことはなかったが、大柄で豪快な杉本は行内ではよく知られた存在だった。当時ワンマンと言われた頭取石川慶介の評価も高く、将来の頭取候補の1人でもあった。
その杉本の下での仕事は順調だった。井坂の周りで忙しい日々が慌ただしく流れた。
(つづく)
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