下関ゴルフ倶楽部、理事長らの半額プレーで裁判に(中)
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新たにクラブハウス建て替え問題が浮上
社員代表訴訟が起こされてから約1カ月後の昨年11月26日、下関ゴルフ倶楽部は臨時総会を開催。福田理事長から「クラブハウスを総工費11億円で建て替える案」が提案され、以下の資金収支計画が提示された。
(1)年会費を8万円から12万円へ引き上げ、約4,000万円の増収(4万円×約1,000口)
(2)新規会員の募集により6億円の新規収入【(入会金200万円+預託金100万円)×200口】
(3)寄付金6,000万円の募集(100万円×60口)
この資金収支はクラブハウス建て替えとともに可決承認されたが、相次ぐ資金負担を迫られることに会員有志は猛反発。泥沼化の原因となったのだ。また、この時、建設会社の名は出なかったが、その後、山口銀行と密接な関係にある大手ゼネコンの清水建設と決まった。
名門・下関ゴルフ倶楽部は、創設者である大洋漁業・中部一族が歴代理事長に就任していた。伝説のアマゴルファーである故中部銀次郎氏もここで育ったという。しかし当時の大洋漁業は商業捕鯨禁止など海洋資源保護の機運が高くなり業績が低迷。そのため経営支援を引き換えに、山口銀行に下関ゴルフ倶楽部の経営権を譲ったというのが、どうも真相のようだ。現在、下関ゴルフ倶楽部の理事長は福田浩一山口銀行頭取がつとめているが、それ以前は伊村光頭取(当時)、田中耕三頭取(現山口銀行相談役)がその座に就いていた。
2002年6月、10年間山口銀行頭取として君臨した田中耕三頭取から田原鐵之助頭取にバトンタッチしたが、わずか2年後の2004年5月21日に開催された臨時決算取締役会議で、田原頭取が罷免され、一番年少の福田浩一氏が頭取に昇格。頭取交代劇を裏で指揮したのは、山口銀行相談役であり、下関ゴルフ倶楽部理事長(当時)の田中耕三氏だったと言う。ある会員は「下関ゴルフ倶楽部をクーデター派の社交場にしたかったのではないか。理事長の福田氏、幹事の西原克彦氏は共に田中氏の息のかかった人物だし、自分たちが半額プレーするのは当たり前だ思っているのでは」と語る。下関ゴルフ倶楽部の創始者である故中部利三郎氏は、草葉の陰でどのような思いをしているのだろうか。
奇しくも社員代表訴訟が提訴された同じ昨年10月15日、山口銀行の頭取交代劇をモデルにした「実録 頭取交替」(浜崎裕治著)が講談社から発刊された。その舞台となった維新銀行本店の竣工は1965年で、新築工事を請け負ったのは主人公甲羅万蔵氏とつながりの深いS建設。それから丁度半世紀経った2015年、その顔ぶれはタイムスリップしたかのように当時のままという。
(つづく)
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