【縄文道を極め世界平和を(1)】太古にこそ新しさが宿る~見るべきは縄文遺跡にあり(後)
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「縄文ブーム」で縄文遺跡をめぐるツアーが流行り始めている。「想像力を発揮させる縄文の旅」は東京湾を一周し、東京湾エリアの縄文遺跡をめぐるツアーだ。縄文時代は今から約1万6,500年前~約2,500年前で、当時の人々と私たちでは、暮らし方はもちろん価値観や考え方も大きく変わっている。縄文を知るためには「想像力」を発揮させることが欠かせない。
加曽利貝塚で縄文の「新しさ」に触れる
縄文時代のムラを見るため、日本最大級の貝塚が見つかっている加曽利(かそり)貝塚縄文遺跡公園(千葉市)に向かう。ここでは、縄文時代の貝塚や復元された竪穴住居跡、発掘調査で見つかった出土品などを見ることができる。
加曽利貝塚は台地の上にある。海産物が獲れる東京湾と、豊富な動植物の採取が可能な周辺の環境は、縄文人にとってはとても住み心地のよい場所だったのだろう。
加曽利貝塚遺跡は約2,000年間にわたって繰り返しムラがつくられ続けた場所だ。筆者は古くから人が住んでいる場所は住みやすい土地が多いと感じる。それは時間の積み重ねによって集落が成熟することも理由だが、立地条件も大きいのだろう。
加曽利貝塚では北側に直径約140mの円形の貝塚(縄文中期:約5,000年前)、南側に長径約190mの馬蹄型の貝塚(縄文後期:約4,000年前)が並んで見つかっている。当時はムラに同じタイミングで5~10軒の住居があり、約25~50人が住んでいたとの推定もある。
貝塚は中央のひろばのような空間の周りに、住居が円を描くように建てられているのだそうだ。当時の住居は、建築の素材の1つにクリを用いることが多かったようで、垂直方向に円形の凹み(竪穴)を掘り、掘った土を凹みの周辺に盛り上げ、材の柱を円形に配置し、組み上げていたようだ。住居の真ん中には火をくべる炉をつくり、家族で火を囲んでいた姿が心に浮かぶ。つくった人や使う人の心はかたちに宿るとも言われるため、縄文時代は「和」や「調和」を大切にする社会だったのだろうと想像も膨らむ。世界的にも調和が求められる現代から見ると、縄文時代の社会は「最先端」だったのかもしれない。
縄文時代の価値観は現代にもつながる
縄文時代は、伊勢神宮の式年遷宮のように約20年のサイクルで家を建て替えていたと考える研究者もいるのだそうだ。古い建物に重きを置く欧州とは異なり、日本で新築や建替えが好まれるのは、縄文時代に始まりがあるのかもしれない。
加曽利貝塚では東京から南に約280kmの伊豆諸島南部の島々(八丈島など)で採れる「オオツタノハ」という皿型の貝を使ったブレスレットが見つかっている。当時の舟を使って、遠方と交流していたのだろう。ムラや地域を超えた活発な交流があったことの証なのかもしれない。
「縄文時代の日本は高度な技術をもった技術先進国でした。縄文土器は日本オリジナルの技術が使われています。縄文人には高い航海技術もあったと考えています」(縄文アイヌ研究会主宰・澤田健一氏)。
縄文の生き方や考え方が注目を浴びている。縄文時代の遺跡は全国にあり、発掘調査が完了しているのはまだ一部なのだという。これからの新たな気づきも期待される。
■INFORMATION
千葉市立加曽利貝塚博物館
<所在地>
千葉市若葉区桜木8-33-1
<TEL>
043-231-0129
<開館時間>
午前9時~午後5時(最終入館午後4時30分)
<休館日>
月曜日
(月曜日が国民の祝日にあたる場合は開館し、翌日以降の国民の祝日でない日は休館)、年末・年始(12月29日から1月3日)
※加曽利貝塚縄文遺跡公園は月曜日も利用可(了)
【石井 ゆかり】
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