経済小説『落日』(50)リバイアサン2
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谺 丈二 著
「では、当社は常に売れないものを仕入れてその処理に無駄骨を折っているということなの?」
長谷は驚いたような顔をした。
「そういうことですね。これも当社に限ったことではないのですが、前年実績と前年商品がベースの我々の業態は、今や粗利額の3分の1を上回る値下げ損失を出しています。この状態は考え方と業態を変えない限り永遠に続きます。言いかえれば商品と売場を今の半分にしても売上は変わらず、利益は逆に増えるかもしれません」
「じゃあ、従来のやり方を変えればいいじゃない。井坂社長もパラダイムシフトと変化対応を訴え続けているじゃない。なぜ変わらないの?」
「ええ、理由は2つ。1つは現場に昨年売れたものを思い切って捨てる勇気がない、もう1つは経営が明確に、そして具体的にジャッジしないということです」「いや、君たち現場幹部が社長を説得しないと。社長を始め、我々銀行出身者には小売現場はわからないからね。具体的にはどうすればいいの?」
「今やっていることを全部やめることです。売場面積も商品調達もすべて見直すことです。そして、仕入れを担当する商品部に、販売結果の責任をもたせます。何より、今の店舗、経営スタイルをすべてやめることです。それがパラダイムシフトということです」
「具体的な例で説明してくれないかな?」「今の仕入れ部門は、いかに仕入れ時の利益の幅が大きいかで仕入れ商品を決めます。その商品が売れようが売れまいが彼らに関係ありません。入荷後の商品販売責任は店に発生するからです」
「商品部は売れようが売れまいが見かけの儲けだけで仕入れるというの?」
「そうです。その結果、市場の嗜好とは関係なく差益率が高いというだけの売れない商品が、陳腐化した店舗、売場に入荷し続けます」「それじゃ不良在庫がたまるだけじゃない」
「実際、大量の不良在庫が滞留しています。不良在庫は腐ったみかんです。利益のもとであるカネの流れを完全に遮ります。最終的には利益を何倍も上回るロスが発生しています」
「にわかには信じがたいことだね」
「現実にはそうです。しかも利益が出ないからその不良在庫を始末できずに抱え込み続けています。しかもマークダウンなしで」「資産の不当評価ということ?」
「取締役の皆さんがその対策に真剣に取り組まないことこそ、私には不思議に思えますが」
「いや、そうは言ってもこのご時世だからね。多少のお化粧は」
「それも程度の問題でしょう。化粧はいつか落とさなくちゃなりませんから。こびりつき、固まり続けるお化粧を、何とか落とせるという確たる根拠もなくボードが一時しのぎの連続で経営を続けるなんて、それこそ経営じゃないでしょう」
「そりゃそうだが」「もう1つ当社には重大な問題があります」
「ほう、何だい?」
「経費の考え方です。小売業、とくにスーパーマーケットの販売管理費は原価とロスを除けばそのほとんどは固定費です」
「どういう意味だい?」
「考えてみてください。売上が下がったといっても水道光熱費や家賃、地代は下がりませんよね」
「たしかに」「一見、変動費の人件費もその類です」
「人件費もかい?」
「小売、とくにスーパーの場合、人が動いて初めて売上のもととなる商品が店に並びます。そこを考えずに人を減らせば生産額、すなわち売り上げそのものが減るということになりかねません」
「売上そのものが減少する直接原因になるということ?へえ、そんな意見は初めて聞いたな。でも、売り上げと利益に合わせて人を増減するのは基本的な常識じゃないの?」
「もちろん、不必要な人員投入は論外ですが効果をともなう効率化を狙うには人を合わせるんじゃなくて売上を合わせることです」「でも、売上を増やすのは簡単じゃないんだろう?」
「だから、先ほど話した大幅な業務の見直しということになるわけです」
「それをやらずに経費削減を続ければ縮小再生産が続くということ?」
「実際そうなっていませんか?」
「そう言われてみるとそうだね。毎年経費を減らしているのに合わせて売り上げ、利益も小さくなっているね」
「極端なことをいえば、最終的には経費をゼロにということになりますよね」苦笑いのなかで2人は顔を見合わせた。
「落語みたいなオチになりましたが、経営戦略会議ではその類の話は出ないのですか?」
「経営戦略会議か・・」肩をすくめるようにして、長谷がため息混じりで言った。
「営業戦略の具体策はないね。もっぱら起案の検討だが、それも役員の間で問題になっているんだ。西総銀でも以前同じやり方を試みたが、うまくいかなくてね。1人でも反対があると決定がずるずる先延ばしになるもんだから、半年も経たずに稟議制に戻した経緯があるんだよ。名前の体裁は良いが、失敗を恐れておおかたの人間が、決定すべき重要案件に慎重になる。審議優先、結論先送りでね。いうなれば経営組織が機能しなくなるんだ。」
「そこまでわかっていてなぜ会議体は変更にならないんですか」
「信念があるというか頑固というか、井坂さんは昔からそんなところがあってね。一度決めたことはなかなか変えようとしない。すべてが的を射ているときはいいんだが、人間、いつもそうはいかないからねえ」長谷は自嘲気味に言った。長谷のいうことはもっともだった。経営トップ層に専門知識がない場合には、決定に関する優先権はどうしても、職務地位の高いものが握ることになる。彼らにたしかな情報収集力と実務センスがない場合は当然、まともな着地はできない。
「リバイアサンか」
小さくつぶやいて石井が微笑んだ。得体のしれない遅効性の毒が、霧のように朱雀屋全体を覆っているような気がした。
(つづく)
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