2024年11月23日( 土 )

【インタビュー】福岡アジア美術館で新作群の個展を開催 従来以上に精力的に創作を続ける~【異色の芸術家・中島氏(1)】

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画家・劇団エーテル主宰
 中島 淳一 氏

中島淳一氏。今回出展予定の新作を背に

 画家であるだけでなく、一人演劇という領域も開拓する異色の芸術家で、本誌「マックス経営講座」の連載でもおなじみの中島淳一氏が、7月4~9日に福岡アジア美術館では初となる個展を開く。ニューヨークでの個展開催の実績もあるが、アラブ首長国連邦・ドバイからも個展開催の誘いを受けるなど、活躍の場を広げている。コロナを経て作品への取り組み方が変わり、従来以上に精力的に創作活動を行っている中島氏に個展への意気込みなどを聞いた。

アジ美個展のきっかけ

 ──7月に福岡アジア美術館(福岡市博多区)で約1週間の個展を開催されますね。どのようなきっかけでしょうか。

 中島淳一氏(以下、中島) きっかけはコロナ以前に開催したニューヨークでの個展です。コロナ以前に2回ほど開いたのですが、その際にニューヨークの画商から、100号(1,620×1,303mm)以上の作品が欲しいと言われたんです。ニューヨークのギャラリーは天井が高く空間性があることもあり、大きな作品で個展を開かないとインパクトを伝えづらいという理由です。たしかに、抽象画の場合は小さい作品より大きい作品のほうが伝わりやすいのかもしれません。ただ、私はもともと、小さな空間の中に壮大なる世界を描く、つまり小宇宙の中に大宇宙を体現するというのが芸術だと思っていて、ことさら大きい作品を描く必要はないという考えがありました。現代美術は抽象画が主流ですが、緻密な作品を描いていたので、30号(910×727mm)、40号(1,000×803mm)の大きさくらいで十分にその良さが伝わると確信していました。

Paradise Rhapsody(F130)
Paradise Rhapsody(F130)

    また、もう1つ言われたのは、日本の画家は概して歳をとっていくにつれて作品のサイズがだんだん小さくなり、わびさびの世界を良しとする傾向が見られる。しかし欧米の画家は逆で、年をとればとるほど命の火が燃えさかるように、若いころよりもむしろ作品のサイズが大きくなり、よりいっそう激しい作品を描く傾向が見られる。自分の命がだんだん残り少なくなってきたときに、抗うように怒りみたいなものが生まれ、魂を根底から揺さぶるような激情が溢れ出る。そのなかに芸術の可能性、面白さがあるというんですね。

 当時は、目指すべきものは質の高いものという考えのもと、そういう発想には抵抗感がありました。しかし、コロナ禍でニューヨークはもちろん海外に行けなくなって、状況が変わりました。私は演劇もやってきましたが、それもできなくなりました。今後どうなるのかと悶々とし始め、自身が70歳に近づき、老いを意識すると、突然大きな絵が描きたいという衝動に駆られました。

 実は100号などよりも大きく、500号(3,333×2,485mm)とか、壁全体を使って描きたいという衝動さえ沸き起こってまいりました。しかし、現在のアトリエの空間ではそれは不可能です。第一大きすぎて、エレベーターなどに載せて運ぶことができません。現実的なところでアトリエから出し入れできる一番大きいサイズが130号(1,940×1,620mm)ということで、100号や120号(1,940×1,303mm)、130号を中心に描き始めました。

 ──今までとサイズが違うと描き方も見方も異なってくるように思えます。ある程度全体の構想などを決めてから描き始めるのでしょうか?

 中島 以前とは描き方が全く異なっており、格闘する毎日です。感覚として構想はあるのですが、決めすぎてしまうと面白みがなくなるため、そのときの感覚に任せて描くようにしています。もともとは、千変万化する神秘的な夜明けの空のイメージを抽象的にアレンジして描いていました。しかし、今は体の奥底から出てくる感覚―人間が根源的にもっている優しさ、激しさ、喜怒哀楽が入り混じった複雑な感覚をストレートにぶつけて、人間の無意識と意識の接点にあるような、心の微妙な揺れのようなものを表現したいと思っています。自分の心を映す鏡のような感覚で作品を鑑賞していただければと思っています。

 ──福岡アジア美術館を選ばれた理由は。

 中島 同美術館は天井も高く、ニューヨークの美術館と変わらないと思いました。地元にこんな立派な会場があるのなら、ここで個展を開こうと昨年決心しました。企画ギャラリーのABC全室(1,005m2)を借りるため、結構な広さがあります。100号、120号、130号の作品を約35点、20号(727×606mm)、30号くらいのサイズの作品を15点、計約50点を展示する予定です。

 このように大きな作品を描き始めたのは昨年の後半からです。今回の個展では基本的にこの1年以内の作品を展示するもので、回顧展ではなくあくまで今の私の作品を見てもらおうと思っています。

 個展のテーマは「ラプソディシリーズ」(狂詩曲)と銘打っています。自分の内なる個性、生命力の発露ですね。生命エネルギーを絵のなかで爆発させるというイメージです。しかし、美術はあくまでも美の追求ですから、そのなかにはリズム、ハーモニーがないと芸術としては成立しないものです。そういう意味で私自身の美意識の結晶である新作をお見せしたいと思っています。

 抽象画とは色彩の音楽であり、形と動きに色彩が乱舞するというイメージで、激しさがある一方で、見る人に心地よいと感じてもらう要素も含まれており、ある種の交響曲だと思ってもらえたらと思います。交響曲は楽章ごとに異なる性格をもっていますが、全体の一部分の動きが激しいものであったり、色彩が見え隠れしたり、濃淡があったり、大胆な面構成のなかに細い線が入り乱れるようにするなど、リズムの変化を1枚の絵のなかに表現しています。見ている人に私自身の魂の躍動感が伝わるかどうかが肝心だと思います。

ドバイからも誘いを受ける

 ──アラブ首長国連邦のドバイでも個展の招待を受けているそうですね。

 中島 上海在住の知己の中国人の書家が私の作品の画像をドバイで活動する中国人の著名な彫刻家であるギャラリーのオーナーに送ると、興味をもち福岡の私のアトリエに実物を観に来てくれました。

 現在私が制作している作品はドバイの空間にピッタリ合う作品だということで個展を勧められました。今年中にドバイに実際に行き画廊などを見て、条件が合えば開催をと思っています。もちろん彼はビジネスとして個展を開催しようとしているわけで、私の絵がドバイでも売れると踏んでいるようです。私の絵のどういう点に魅力を感じるのかと聞くと、力強さと美しさを兼ね備えている点がよいと。

コロナによる心境の変化

 ──こうした変化はコロナ禍によるものであったと。

 中島 人間はいつどうなるかわからない、こういう事態は自分自身にも起こるのだと深く考えさせられました。もっとひどい状況ももちろんあります。たとえば戦争状況下で、命の危機が文字通り迫っている環境にある芸術家などは本当に大変だと思います。絵を描くのには実は経費がすごくかかります。ウクライナもそうですが、ガザ地区の芸術家などは本当に大変だろうなと思います。良質の絵の具や画材を手に入れるのも大変ですし、描いても絵を買ってくれる人が現地にいるのかという問題も生じています。

スロバキアのテレビに出演(40歳の時)
スロバキアのテレビに出演(40歳の時)

    実際、約100年前のスペイン風邪ではエゴン・シーレなどの画家が亡くなっています。日本では地震などの自然災害もありますし、誰でも心身共に害する可能性もあるわけです。身体が元気で、絵の具も入手できるという恵まれた状況で描けなかったらいつ描くのだと思い、今こそという思いで芸術の高みに達しようと取り組んでいます。70歳になったとはいえ、90歳、100歳ぐらいの画家から見れば、自分はまだ70歳の若造にすぎません。また30歳、40歳のころを振り返ってみると、そのときは一生懸命にやっていたつもりでしたが、自分の命を燃やし尽くすような芸術活動をしていたのかと省みました。これまでのどの年よりも絵を描いたと思えるような悔いのない1年にしたいと思い、夜も昼もなく描いています。

 画家は言い訳ができません。作品がすべてです。ニューヨークの画商から「500号の大きな作品を描けるのかもしれないが、それはあなたの頭のなかだけにあるもの」と言われた通り、実際に描いた絵が目の前になければ誰も信じてくれません。大きな絵がなければ、小さな絵をバランス良く描くのが中島淳一だと思われるだけかもしれません。

普遍性の獲得を目指す

 ──絵を必要とするのはどのような人たちなのでしょうか。

 中島 アメリカなどではセレブ同士のパーティーで、多くの人を自宅に呼ぶために家は大きく、自宅でパーティーを開くと。そこには大きな絵が飾られ、参加者はそれを見て、これ誰が描いた絵なのだろうと驚き、彼らの間で評価され、それから有名になるケースが多々あると聞きました。オークションなどで急激に価格が上がったりするのは、背景に注目したセレブが高く購入しようということがあるようです。こうなると、当の芸術家の手から離れたところで事態が展開してしまっているわけです。ただ画家としては画材をそろえたり広いアトリエを構えたりするための潤沢な資金は欲しいというのはあります。

 日本の場合、大きな作品を買ってくれる人は実業家や医者、弁護士など、もちろんいますが、主に会社のオフィスやホテルなどになってきます。それに比べて欧米は空間の使い方が異なっており、需要は日本よりはあるようです。また、欧米では個人で美術館を所有するというのは1つのステータスで、その人の価値が高まり、信用が増すようです。日本ではプロ野球の球団を所有するのがイメージとして近いかもしれません。

 私の場合、画商以外に、演劇を行うなかで知り合った人で絵を買ってくれる人が現れだしました。私の絵のコレクターは、現在では約400点持っている方が1人、約100点持っている人が4人、30点くらいだと20人くらいはいらっしゃいます。

 ただ、画家は世に出るための戦略を考える以前に人を動かす作品を描かないといけません。どうしても欲しい、購入したいと思わせる作品を描けるかどうかが肝要です。画家がすべきことを突き詰めていくと自身に嘘偽りのない作品を描くことだけです。どんな絵が売れるかなどと考えて描いていては人を動かせるわけがありません。

ニューヨークの個展にて(2018年)
ニューヨークの個展にて(2018年)

    ──抽象的な問いになりますが、人を動かす芸術とはどうあるべきとお考えでしょうか。

 中島 普遍性に至ることができるかどうかが重要だと思います。最初は大上段に構えたものではなく自己表現から始まるとしても、突き抜けていくと普遍性に至ると思うんですね。たとえば、ベートーベン、バッハなど大家の作品では初期の作品のきっかけは個人的なエモーションによるものだと思うのですが、時間が経つにつれてそれが昇華されて非常に高いレベルまで到達します。このように繰り返し何回でも聴きたくなるような作品が生まれるわけです。そうした魅力をもつことで普遍性を有するようになったものが芸術だと思います。私自身がそれをできたかどうかは歴史が証明することですが、その境地に至るまで一生懸命に取り組みます。

【茅野 雅弘】


<プロフィール>
中島 淳一
(なかしま・じゅんいち)
1952年、佐賀県唐津市出身。75~76年、米ベイラー大学留学中に、英詩を書き、絵を描き始める。ホアン・ミロ国際コンクール、ル・サロン展などに入選。82年以降、日仏現代美術展クリティック賞、ビブリオティック・デ・ザール賞、スペイン美術賞展優秀賞、パリ・マレ芸術文化褒賞、カンヌ国際栄誉グランプリ銀賞、国際芸術大賞(イタリア・ベネチア)展国際金賞、スペイン・バルセロナ国際サロン展 国際金賞、国際芸術大賞(日仏合同)展日仏賞、国際芸術交流展神戸 スペイン大使館賞、東京国際フォーラム・イタリアワイン三千年アートラベル展、日仏アートラベル芸術栄誉金賞など受賞多数。脚本・演出・主演の一人演劇を上演。企業をはじめ中・高校、大学での各種講演で好評を博しているほか、詩集なども出版している。ベルサイユ市芸術名誉市民(1998)、モンゴル芸術親善大使(2023)。
URL:https://www.junichi-n.jp

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