小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(25)イタリアからきた嫁
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第15話でも書いたが、ホスト・マザーのベティーの親、大富豪アートン氏のワイフは、イタリアからきた嫁だった。風采の上がらない彼女は、イタリアからきた女中のようだった。実は、彼女は最初、本当にアートン家の女中だった。アートン氏の奥さんが亡くなった後、後妻として入り込んだらしい。どうりでベティーと仲が悪いわけだ。
彼女は頻繁にジョージ君に電話をかけてきた。「奨学金の半額に値する労働力をいつ返しにくるのか?」と、しつこく聞いてきたのである。ジョージ君はこの話を本気にしていなかったが、どうやら向こうは本気で労働力で対価を求めていた。相手はホスト・ファミリーの義理の母、デルタ大学に入れてくれた恩人の奥さんである。無視できそうもない。
ある日、ベティー経由で「次の土曜日、朝6時に来い」と言われた。この町の夏は非常に暑くなる。肉体労働は朝6時からというのは普通であった。もう夏休みは始まっていたし、勉強にも多少の余裕ができていた。多少のお返しはしないといけないとは思っていた。
朝早くからドアの前でネグリジェ姿の彼女が待っていた。無邪気に、うれしそうに、ニコニコしていた。彼女は自己紹介をした。
「私はシンデレラ」。ジョージは驚いた。彼女が「シンデレラ」?とんでもない、「死でれら」だ。背は153cmぐらいで、前歯のないところなど魔法使いのようだった。鼻はぺちゃんこ、髪は金色で、頭のてっぺんで丸めていた。地獄の金庫番の女守銭奴の姿がよく似合っていると思った。西遊紀にでてくる猪八戒の「金髪イタリア女版」とも思えた。
好意的に見れば、その醜い笑顔は、人の良いおばば様と見えないこともない。ジョージ君はまだ、その正体を知らなかった。とにかく、これからシンデレラ(死でれら)婆と呼ぶことにした。ジョージ君は親からの躾で、女、子供、年寄りには親切にしないといけないと思っていた。そのため、醜い容姿にも関わらず、この婆さんが嫌いだという感情はなかった。
開口一番、彼女は言った。「Poor Japanese boy, George. Listen」。どう訳すべきか?「可哀想な日本人のジョージ、よく聞け」。なぜ可哀想なのか?Poorの単語の理解が間違っているのか?もしかして「貧乏な日本人、ジョージ」とも理解できる。
「英語のわからない、お前たち東洋からの移民者は、アメリカでは階級は黒人より下だ」。ジョージ君は「俺は留学生だ」と答えた。
「学生と移民者とどこが違う。お前も将来はどうせ、移民者になるはずだ。つべこべ言わずに、これから無償で300時間働け。でないと、私の夫が承知しないぞ。いいか、ジョージ、決して怒るな。アメリカで生きたければ、耐えて見せよ。私もイタリアからアメリカにきて、耐えてきた。そして今日の成功がある。人生には忍耐が必要だ」
ケタケタと本当にうれしそうに笑い、両手を広げて、今自分のもっている屋敷や庭園を見てみろ、というジェスチャーをしてみせた。ジョージ君には彼女が自慢したい気持ちや、その態度がよくわかった。しかし、無償で労働する気持ちはなかった。
ジョージ君は冷静に答えた。「この話は大学の学生アドバイザーの先生と話してある。奨学金の半分を労働で返せなど、とんでもないとのアドバイスだ。労働基準法違反だ。ダダで私は働かない。勤勉と知恵のある日本人を使うのだから、最低賃金の$2.25は支払ってもらわないと帰る」と強気にでた。
婆は驚いていた。「私たちにとって、そんな恥ずかしい話を学校で相談したのか?いやな奴だネ、用意周到、さすがに日本人だ。気に入った。$2.25ならOKだ。さあ、私についてきなさい。とにかく、朝一番にきたら、犬の糞を取りなさい。あそこにも、ここにもあるぞ。さあ、さあ、まず、それを今から取りなさい」。
ジョージ君は彼女の命令口調が頭にきた。これも断った。「侍はいかなる場合であっても、自分以外のうんこには触らない」。彼女は怪訝な顔をして、「それでは自分のベビーのうんこにも触らないのか?」と聞いてきた。ジョージ君は答えた。「もちろん、そうだ」。「お前は本当に難しいことを言って、この婆を困らせる」。
でも、なんだか納得したようで、それ以上、犬の糞を取れとは言わなかった。「お前には日本庭園の手入れをして欲しい。日本人の庭師は、オォー高い!メキシコ人の5倍の料金を取るからな」と肩をすくめた。
日本人の庭師はプロ、メキシコ人は単なる労動力、その違いがわからないようだ。ここは農村都市で、家の敷地は5エーカー、6,000坪もある。いくら金持ちでも、維持費には相当な金がかかりそうだ。確かにたまらない。
アートン家の敷地には、2,000坪のイベント広場、道路・駐車場、2,000坪の芝生、300坪の英国庭園、300坪のフランス庭園、そして大きなバラ園があった。さらに300坪の日本庭園には、石の灯篭や水のない池、かつては小さな滝があったと思われる石とセメントの構造物、伸びきった松やモミジなどの植木があり、そこら中、夏草がボウボウだった。
ジョージ君は「この状況では、とても1人では無理だ。友人を連れてきてやってもいいか?」。「ああ、かまわない。その友人には、時給で$3.25支払ってやる」。「よっしゃ、交渉成立だ」とジョージ君は叫んだ。
シンデレラは、弱いものや若者と話すのが、楽しくて仕方がないというような感じで、満面に笑みを浮かべ、クックックッと笑っていた。安くこき使える日本人留学生を見つけて、本当にうれしそうだった。その醜い守銭奴姿は可愛くもあり、哀れでもあった。弱い立場の人をいじめて何が楽しかろうと不思議に思えた。
アメリカの移民史を知ると、地方によって違うが、最初に入植をしたイギリス系やフランス系が農園主や工場主になった。次に入ってきたドイツ人が中間幹部となり、その後入ってきたアイルランド人やイタリア人、ギリシャ人が労働力となった。カリフォルニアでは、その白人の下で中国人や日本人、フィリピン人が労働力を提供していた。
後から入ってきたものが、常に冷飯を食うのは、当然だった。ただ、ここには英語という言葉の壁と、肌の色も関係していた。ジョージ君は、いくら成功しても、お前たちは白人にはなれないと何度も言われてきた。
このイタリア婆も最後に一言、付け加えた。「お前たち日本人は、頭脳もあり、野心もあるかもしれない。でも決して白人ではないぞ。それは覚えておけ」。後からきたやつは、この差別や、悲哀、困難を食べ、それをエネルギーに昇華(消化)するくらいの強さがないと、アメリカ生活はできないと、ジョージ君は思うようになっていた。
さてその翌日、富永さんという留学生を誘って、2人は猛烈に働いた。40℃の暑さは厳しかった。それでも太陽を遮るものがない農場より、あちこちに木陰がある庭師の仕事はまだマシであった。
1週間後、時給の支払いを求めた。しかし、この婆はなんと支払いを拒否したのであった。考えてみれば、計画犯とも考えられる節もあった。不信感が膨れ上がった。やはり、タダでこき使ってやると考えていたのか?愕然とした。
婆が支払いを拒否した理由は、「ジョージたちはいつもタバコを吸って、日本語でおしゃべりばかりしていたから」ということだった。ほかにいた庭師から、告げ口があったようだった。
それにしても、彼女はジョージ君たちが一生懸命働いている姿を見ていたはずだ。弱い立場の留学生相手に、ゴネ得を考えている。完全に頭にきた。許せない。ところが富永さんは、「ジョージ君、あきらめようよ、どうせ、白人は東洋人に対して、こういう扱いしかしない。喧嘩するのは無駄だ。おれはもうアメリカ生活は疲れたよ。デルタ大学を後半年で卒業したら、絶対に日本に帰るよ」。
ジョージ君は富永さんを誘った責任があった。「富永さん、俺に任せてくれ、金は取る」。「ジョージ君は来たばかりだから、まだ元気があるね。そのうち、俺みたいに考えが変わるよ」。
ジョージは強がったものの、留学生は立場が弱く、泣き寝入りするしかないこともあるのか?と不安になった。いや、日本人は自己主張をしないので、そのような考えになりがちだ。俺はここで自己主張をしてやる。大学に相談するか?労働基準局に訴えるか?ストックトン・レコード(新聞社)に訴えて、新聞記事にするか?なにをしてもリスクがともなう。良くて刺し違い、必ず返り血をあびて、帰国する羽目になる可能性は大であった。
迷っていた。ところが、思いがけない助け舟が出た。一番身近なベティーが、シンデレラ婆が金を支払わないことを聞いて、完全に怒った。
「私から父の財産を奪って、今度はジョージに金を払わないだと?とんでもない、守銭奴だ。そもそもジョージがあの家で手伝いをすると、我が家ではなにもできないという状態が発生している。犠牲者は私だ。そもそも、ジョージがあの家で働くことには、私は反対だった。親切でいままで黙っていたが、もう許さない。今から彼女に電話する」
「マザー、どうしてジョージに金を払わない。本当に彼らが怠けている姿を見たのか?だいたいおかしな話だ。ジョージはタバコを吸わない男だ」と言いながら振り返り、ジョージ君に確認を求めた。
「もちろん、私はタバコを吸わない」と答えた。「今、うしろで、ジョージはタバコを一度も吸ったことがないと言っている。これだけでもあなたが嘘を言っているのは明白だ。ジョージは帰国の意思を固め、今から新聞社に行くらしい。あなたは私の父の名誉まで汚すのか?」。
「ベティー、わかった、わかった。あなたをそこまで怒らせる気持ちはなかった。ジョージをここに寄こせ、金は支払う」。富永さんと金を取り行った。
彼女は自分がしたことをすっかり忘れたのか、「明日からまた来てくれ」と言った。ジョージは答えた。「ええ、時給$15なら喜んで」。「時給を一気に5倍以上かね?それはちと、ふっかけすぎだよ。ジョージは欲張りだね」。「シンデレラ婆さんや、将来ある若者に奨学金を出すぐらいの器量をもちなよ」。
「それはないね。お前たちを苦労させることが、私の使命だ。ジョージ、このシンデレラ婆の話を良く聞け。移民者や、貧乏人は苦労して当たりまえだ。だから将来があるのだよ。お前たち若者には、まだわからないだろうが、奨学金も、生活保護も、それはしょせん他人の金。親の金も含めて、他人の懐を当てにするやつにロクなのはいない。お前の家のベティーなど、親の財産を当てにして生きてきたロクデナシだ。そういうジョージも、ベティーの家にタダで住んで、食わしてもらっているのだろう?それに見合う仕事を、お前はしているのかね?何でもいいから、役にたっているかね?ただ飯は食ってはいけないよ。それがこの国の掟だ。その精神がこの国を偉大にしたのだ」
ジョージ君には思いあたる節があった。最近はベティーたちの役に立っていない。「ベティーは、私がアートン氏の財産を横取りしたと、お前たちに言っていると思うが、そうではない。私の頭脳がなければ、彼はここまで金銭的に成功しなかった。しょせん、私の夫は金の計算ができない弁護士よ。彼の今の生活は、100%私に依存している。私が過去に経験した苦労の10分の1ぐらいを、ジョージに分けてやりたくて、金の支払いを拒否したんだ」。
ジョージ君にはシンデレラ婆の詭弁だと思えたが、不思議な説得力もあった。いつまでもこの婆の話を聞いていたいと思った。彼女が若者に真実を教えているような気がしてきたのであった。
しかし富永さんは聞く耳をもたなかった。彼は言った。「さあ、ジョージ君行こう、時間はない。I hope we never see each other. もう2度と会うことがありませんように。さようなら」。
いろいろな人がいて、ジョージ君はアメリカ生活が楽しくて仕方がなかった。こういう、意地悪で、欲ボケな婆さんは、正直で大好きだと思えた。ジョージ君もお別れの言葉を言った。
「I will see you again, my professor. 人生の教授、再び会いましょう」
「ジョージ、I love you」ジョージ君は再び答えた。「I love your money」。シンデレラ婆はまたケタケタと歯のない口をあけて笑った。
(つづく)
【浅野秀二】
<プロフィール>
浅野秀二(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。関連キーワード
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