2024年11月24日( 日 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(33)新しい生活

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 ジョージ君はアメリカでも有数の高級住宅街から、ヘイワードにあるカリフォルニア州立大学イーストベイ校に通うことになった。毎日、高速道路280号線をサンフランシスコの方向へ北に行き、途中で92号線を右に曲がる。そしてサンフランシスコ湾を東西に横切る26kmもある長いサンマテオ橋を越えると、ようやく、山の上に大学の高層ビルが見えた。

 大学はサンノゼ大学のような市街地にはなく、山の上の広大な敷地にキャンパスが広がり、学生数もまばらにしか見えなかった。いろいろな情報を得ていくうちに、ここの大学のビジネス学科はスタンフォード大学に次ぐ、素晴らしいカリキュラムが組まれており、ビジネス分野ではカリフォルニア州立大学のなかでは一番の大学であることがわかった。

 ジョージ君は、クラスが終わると一目散にホームステイ先に帰った。新しい家の居心地は最高だった。キャサリンは長期出張中で誰もいない邸宅で1人、自由に過ごせた。2匹の番犬シェパードは、新参者のジョージ君にすぐ心を許し、敷地内を歩く時はいつもついてきた。“キロー”2歳はとても元気で、2,500坪の敷地内をいつも走り回っていた。“ショルツ”13歳は老いぼれ犬で、いつもジョージ君に鼻をこすり付けてきた。

 アメリカの大富豪はローマ時代の皇帝のような暮らしを本当にしていた。ジョージ君は一人でプールに浸かったとき、浴室を愛したローマの皇帝、ハドリアヌス皇帝のような気分になろうとした。しかし皇帝を取り巻く美女は一人もいない。「せめて七尾美がいれば、もっと楽しい時間になるな~」と、そのとき、やっと七尾美のことを思い出した。

 不思議と、七尾美のことは、そう頻繁に思い出さなかった。新しい環境に慣れるのに、ジョージ君は精いっぱいだった。家の電話で七尾美に連絡することも遠慮していた。彼女も電話代の借金があり、電話は控えていたようだ。

 ジョージ君は周辺の町をドライブした。スタンフォード大学のあるパロアルト市、その隣のロスアルトス市も超高級住宅街、山の手のロスアストル・ヒル。そしてホームステイ先の大邸宅があるウッドサイド市。富豪たちの邸宅は町中というよりも森の中に散らばって存在をしていた。

 この周辺は後に“シリコンバレー”と呼ばれ、企業家たちが争って豪邸を建てた場所だった。あの有名なIT企業、オラクル社の創業者であるラリー・エリソン氏が、日本の桂離宮と一寸一分違わない、庭園のコピーをつくった自宅はウッドサイド市にある。

 ジョージ君はそのような場所を散歩するのが大好きだった。大富豪たちのお屋敷に興味があった。半日でも一日でも、一人でほっつき歩いた。周辺は、日本の山のように様々な木が生えていて、谷が深く、小川もあちこちにあった。水はチョロチョロとかろうじて流れていた。無理もない、春以降はめったに雨が降らないカリフォルニアだ。多少の水があるだけでも、ここは特別な環境だと思えた。

 ストックトンのような地平線の見える大平原(大盆地)の砂漠とは違い、太平洋に近いこの地は、気候が温暖で木々の緑に覆われた景色は穏やかだった。住宅街といっても家と家の間は数100メートルも離れていて、人に会うことはめったになかった。まして歩いている人は皆無であった。サラブレッドのいる牧場付きの邸宅は日本では想像はつかない。まさにアメリカン・ドリームをかなえた者たちの街だった。

 時々、豪邸のなかからジョージ君が歩いている姿を見つめている人がいた。誰も彼もが、不審な目でジョージ君を見ているような気がした。それはジョージ君のコンプレックスだったのかもしれない。みすぼらしい服装のジョージ君を、見つめるような視線が気になった。

 当時、ジョージ君が着ていた服で新品のものはひとつもなかった。すべて、サルベーション・アーミー(救世軍)に寄付された物や中古品のなかから、買ってきたものばかりであった。医者の息子の誠君でさえも、同じだった。

 日本ではまだまだ米国のような消費者社会は誕生していなかった。やっと高度成長期に差し掛かったばかりの頃であった。

 ある日、パトカーがジョージ君の前で停まった。不審者が歩いていると、誰かが電話をしたようだった。服装よりも、アジア人であったことが、不審者として見られた本当の理由だったのかもしれない。ジョージ君は住所を尋ねられ、学生証を見せた。さらにキャサリンの会社名を言って、不審なら電話を掛けるように言った。

 パトカーはジョージ君から離れた。なにしろこの辺は、アジア系は誰も住んでいなかったのだ。医者、弁護士、会計士程度では、とても住めるような町ではなかった。富豪中の富豪たちが住んでいるのが、ウッドサイドの町だった。

 牧場付きの豪邸が多く、イギリス人のような乗馬用の服装で馬に乗ることを趣味としていた。キャサリンの娘、マービンも小さいころから英国式の乗馬をしており、サラブレッド2頭をプロの調教師にあずけていた。ジョージ君も1度だけ彼女たちと乗馬の試合を見に行ったが、貴族趣味というのか、とても馴染める雰囲気ではなかった。住む世界の違いに唖然とするばかりであった。ストックトンの金持ちはしょせん田舎者、カウボーイだったのだと気付いた。

 ある日、ヘイワードの大学から帰る途中の高速道路280号線で、ジョージ君はスピード違反で捕まってしまった。当時の280号線では車はほとんど走っておらず、快適なドライブができて、すぐ制限速度を超えてしまった。そのときは30マイルオーバーだった。

 パトカーはジョージ君の車を停めた。運転免許証を見せると、警官はうなった。何度もジョージ君の顔と、ボロ車と、免許証をまじまじ見つめ、不審そうに尋ねた。

「お前は本当にここに住んでいるのか?ウッドサイドは最近、大富豪の坊やが誘拐されて有名になった、あの大金持ちのコミュニティだろう?」
「そうだ。私は外国からきた交換留学生で、この住所は私のアメリカン・ファミリー、私のスポンサーの家だ」

「ということは、君は外国の要人(VIP)の息子というわけだな。先日、80マイルもスピードオーバーしていた外交官を、この辺で捕まえて署長に叱られた。君もめんどくさいヤツだと困るな。よし、放免してやる。それにしてもボロい車だな、それが納得できないがな…」

 住所ひとつで、こんなに対応の変わるアメリカ人はやはり驚きだった。権力と金には弱いアメリカ人をここでも見た。それにしても無罪放免、スピード違反を見逃してくれた。罰金を払わずに済んで助かった。金持ち住所、サマサマだった。

 ジョージ君がスーパーマーケット「セイフウェイ」に買い物に行ったときのこと。キャッシャーで背の高い初老の男に尋ねられた。

「この辺で見かけない顔だな。どこからきたんだ?」
「I am a foreign exchange student from Japan. 日本からの交換留学生です」
「え、日本からか!懐かしいな。戦後直後のころ、俺は日本にいたことがあるんだよ。いい思い出ばかりだ。日本人はみんな、良い人ばかりだった。でもPeople lived just like animals over there. 日本では人々が動物のような暮らしをしていたね」
「そんなバカな。今は復興し、発展してそんなことはないよ。トヨタだって、ソニーだって日本製だよ、知っているでしょう」

 反論はしてみたが、あきらめた。別にジョージ君や日本に対して、悪気があって言った言葉ではないと分かっていた。そう言えば、前のホームステイ先のハイドン氏は酔うと、日本のバーでの話をしていた。バーで飲んでトイレに行くと、飲み屋のお姉ちゃんが、彼を支えてくれておしっこをし、それを紙で丁寧に拭いてくれたことが、最高の自慢話だと言っていた。

 それが理由で日本を懐かしがっていたことを思い出した。ハイドン氏いわく、悪いアメリカ兵は1ドル札を見せびらかし、彼女たちに紙の代わりに口で拭かせるように、そそのかしたらしい。しかし、その1ドル札に多くの女性が群がった。彼も体験したことがあるらしく、征服者としての快感があったらしいが、彼女たちのプライドを考え、一度だけでやめたらしい。

 非常に嫌な話だったが、ハイドン氏も決して日本に悪気があるわけではなかった。それらはすべて、ジョージ君の知らない、戦後の日本をアメリカ側から見た歴史の事実なのだ。ジョージ君はアメリカから見た日本の戦後史に興味をもった。

 さて明日、キャサリンがいよいよ帰ってくる。何か楽しみだった。何が起こっても楽しんでやる。再び、「ザ・男マン」と心のなかで叫んだ。

(つづく)

【浅野秀二】


<プロフィール>
浅野秀二
(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。

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