2024年12月22日( 日 )

『脊振の自然に魅せられて』「久しぶりの沢のぼり」(後)

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 滝壺から上がろうと岸辺の岩をつかむが、コケむした岩はヌルヌルして手が滑る。2、3度試みて、やっと岩の割れ目に指が入った。雨が多いとヌルヌルは少ないのだが、あいにく、ここ最近、雨は降っていない。滝壺から上がり後続を確認する。一番若いMが気持ちよさそうに滝壺に浮かんでいた。

 滝を直接登るのを避け、滝を巻いて水流のない岩を登る。すると目の前に夏の花、紫色のコバゴノギボウシが一輪咲いていた。筆者は岩場に密かに咲くこの花が大好きだ。ギボウシとは橋の欄干の突片に被せられた飾りの帽子のことである。名前はこのかたちに似ているので付けられている。

 しばらく進み、平たんな場所で休憩した。数年前は、こんな所で休むことはなかったが、80歳になった老体へのいたわりであり、後続のペースを確認する意味合いもあった。岩場に腰を下ろすと筆者の周りを虫がブンブン飛びまわっていた。帽子で追い払うが敵もあきらめない。虫は「良い獲物がきたぞ」とばかりに筆者にまとわりつき、隙あれば血を吸ってやろうと飛んでくるのである。

 ここから岩の間に何度も足を入れ、水を浴びながら進むこと10分で避難小屋のある大きな滝壷のある場所に着いた。この避難小屋は50年以上前からある。石積みの小屋は何とか一晩を過ごせる程度のものである。

 劣化したのか小屋の石の周りはブルーシートで覆われていた。中を覗くときれいに整備されていた。5人ぐらいは過ごせる広さである。

 目の前に長さ15mほど斜めに流れている大きな滝が、この滝壺に流れ込んでいる。ウォータースライダーとして遊べる滝で、筆者は「スライダー滝」と呼んでいる。滝壺は10m四方の広さがあり、山中のプールでもある。ここに誰がかけたか、10mくらいのブランコがあった。岩場からどのようにしてかけたのであろうか。垂直の岩場に生えた木の枝からぶら下げてあった。

 水遊びが好きなMがブランコにぶら下がっていた。すると彼の動きがおかしい。何やら水のなかにある足に手をやっていた。フェルト靴のフェルトが剥がれたのである。経年変化で登山靴や沢靴が剥がれることがある。長年使っていないと接着剤が劣化するのである。今回は、それほど奥まで入っていなかったのが不幸中の幸いである。ここからさらに奥に入っていれば戻るのは難しい。

 ここで簡単に昼食を済ました。のんびりした時間であった。すると1人の男性が登ってきた。見慣れた顔であった。お互い交流のある山の達人Hであった。今月、メールを交わしたばかりであった。イベントがあるのでルート確認にきたとのことだった。しばらく会話した後、60代のHは身軽に奥へと進んで行った。仲間は「スイスイと歩かれますね」と驚いていた。筆者も5年前は彼と同じく身軽に歩いていた。加齢には勝てない、どうしても安全第一の歩きになる。

 ここで休憩していると、一匹の青い蜂らしき虫が飛んできて、私の左手親指にチクリと針を刺して逃げていった。「やられた」、筆者は救急セットから虫刺され用の塗り薬を取り出し、親指に塗った。ここ数年、毎年、蜂や毒虫に刺されている。時には皮膚科にも通った。

 2年前、キイロスズメバチに帽子の上から額を刺された時が一番痛かった。このときは6人中、3人が次々と刺された。帰宅中の車のなかでも激痛は続いた。帰宅してすぐに病院へ行ったが、やけ火箸を刺されたような痛みが1週間続いた。

 蜂に刺された左手親指の痒みが増してきた。ちなみに10日経った今でも刺された跡は残っている。

大滝の前で
大滝の前で

    ひと息つき、Mを残し後輩のOと、スライダー滝側の斜面になっている岩場を慎重に歩き、水がほとばしる岩場を登り、大滝前へと進んだ。本格的な岩登りであった。道具を使わずに登れる岩場である。岩から流れ落ちる水を頭から浴びながら、どこに手と足を置くかは体が自然に反応した。

 落差10mの大滝が2本、並行して流れ落ちている。金山沢では一番迫力のある大滝である。

 真下まで歩いて行く。滝の中間部にザイルを使って登ったのか、固定金具のピンが打ってあり、赤いリボンが付いていた。ここを登るにはザイルが必要となる。沢登りの登山道は左手の岩場の隙間にある。この沢は、あえてザイルを使わなくても楽しめる。

 Mの待つ避難小屋の滝壺へ戻った。筆者に付いてきたOの足取りが重い。筆者より3歳若いがこのところ足取りがおぼつかなくなっており、毎年、転倒して怪我をしている。5分遅れでOが降りてきた。Mはこの間にフェルト底の剥がれたスニーカーを履き替えていた。下ってきたOは山靴に履き替えていた。

 筆者は面倒なので、沢靴のまま避難小屋から昔の登山道を下った。ここは大規模な崩落もあり登山道は荒れている。山の斜面の樹木のなかを左右に進んだ。時々、目印の赤テープが巻いてあった。樹木で薄暗い斜面のルートを確認しながら進んだ。時折、後続を確認する。

 60年前、子ども達と遊びにきた山道であるが、すっかり様子が変わっていた。15分進むと、先ほど登ってきた登山道に合流した。

 避難小屋から歩くこと30分で車を停車した場所に戻った。筆者にとっては水遊び程度ではあったが、夏を満喫できた。ほかのメンバーも同じであった。これで、今年の夏は乗り切れるだろう。

メンバー達と避難小屋前の釜で
メンバー達と避難小屋前の釜で

(了)

脊振の自然を愛する会
池田友行

(前)

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