2024年11月22日( 金 )

物流で福岡を支え続ける 社会から望まれて実現した事業承継

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大高建設(株)

 物流施設建設では地域トップ企業といえる大高建設(株)。創業者の大木孝朋会長は91歳の現在も健康そのものだが、すでに2018年に事業承継を終え、代表の座からは退いている。同社を現在の地位に押し上げたのは、大木会長以下歴代社員の尽力に加えて、地域社会と取引先からの「望み」だった。望まれて誕生し、望まれて事業承継に成功した同社の歩みを振り返る。

「物流施設といえば大高」 望まれて誕生した企業

 「物流施設の建設といえば、大高建設」。延べ面積14万m2の広大な土地に、大手物流6社の流通拠点が並ぶ「福岡インター流通パーク」は、福岡都市圏を代表する大規模流通拠点。そして、大高建設(株)の業績を代表する巨大プロジェクトである。来年には設立50年を迎える同社が福岡インター流通パークを手がけたのは、創業からわずか20年足らずの時期だった。

大木孝朋会長
大木孝朋会長

    同社が産声を挙げたのは1975年のこと。当時岡﨑工業(株)福岡支店に勤務していた大木孝朋・現会長と高﨑彰一氏が、福岡支店閉鎖にともなって創業した。オイルショックの影響でやむなく決まった支店閉鎖だったが、当時手がけていた東区多の津の流通センターの地権者や関係者から、「大木さんと高﨑さんがいなくては困る。我々が全面的に支援したい」と、是非にと請われたかたちで起業した。大高建設はその成り立ちから福岡の運輸・流通業に望まれて誕生した会社なのである。福岡インター流通パークのような巨大プロジェクトを実現できたのも、創業以来の積み重ねがあってのことだ。

 両氏を含めわずか7人でスタートした同社だが、現在は一級建築士15名、一級建築施工管理技士19名を含め、社員数46名を擁するまでに成長を遂げている。

不断の努力とたしかな業績が
奇跡の事業承継を実現した

 創業の際には地域から望まれて誕生した同社は、事業承継においては最大の取引先から望まれるかたちでの承継を実現させている。

 今年91歳の大木氏が一代で築き上げた同社は、2018年に事業承継を終えた。同年、代表取締役会長だった孝朋氏が取締役を辞任し、代表権のない会長に就任。代表取締役社長は長男の大木孝一郎氏、そして代表取締役副社長に元日鉄エンジニアリング(株)九州支社長・徳永利美氏が就いた。さらに日鉄エンジニアリングからは常務取締役と執行役員2名が派遣され、いわば日鉄エンジニアリングのバックアップを受けるかたちでの事業承継となったわけだ。

徳永利美代表取締役副社長
徳永利美代表取締役副社長

    孝朋氏は実はそれ以前、自身の引退後は会社の解散まで考えていたという。「68歳のとき、『75歳をメドに、会社を閉めよう』といったんは決意しました。それまでも経営の表舞台から身を引こうと、プロパー社員に社長を任せようと二度ほど試みましたが、『経営者と社員で、求められる資質は違う』ということを改めて突きつけられました」(孝朋会長)。

 孝朋氏は会社を畳んで不動産などの資産をすべて処分すると社員にどれだけ分配できるかを計算したり、解散前に関係各所に告知するのは何年前がいいかと検討したりと、会社解散への道を実質的に歩んでいたが、それに待ったをかけたのが、長男の孝一郎氏だった。

 「最初は『自分(孝一郎氏)が(社長を)やれないだろうか』と言い出した。どうかな、と思って渋っていたら、『じゃあ、日鉄エンジニアリングにお願いしてみたらどうか』と提案してきまして」(孝朋会長)。

 日鉄エンジニアリングとは、大高建設の設立以来長きにわたって取引のある、縁の深い間柄。日鉄エンジニアリングの主力商品である、工場・大規模施設用システム建築「スタンパッケージ」のパートナー施工店として、21年には「三十年連続優秀賞」を授与されている。とはいえ、両社の間には資本関係はなく、付き合いは長いが取引相手でしかない。常識的には役員の派遣を頼む関係性ではない。孝朋氏は孝一郎氏の熱意に負けて「じゃあ、日鉄さんの社長に直訴してみたらどうだ」と返事をしたものの、現実のことになると考えてはいなかった。

 「でもね、日鉄さんは二つ返事で了承してくれたんですよ。社長も副社長も即決だったそうです。私のほうが驚きましたが、日鉄さんが当社の副社長として派遣するのが徳永(現・副社長)と聞いて、『これは日鉄さん、本気で気にかけてくれているのだな』と実感しました。しかも、徳永本人が『大高に行きたい』と希望していたというのですから」(孝朋会長)。

 徳永副社長は当時、日鉄エンジニアリングの九州トップであり、大高建設とのカウンターパートといえる存在だった。「あのときは、もう日鉄エンジニアリングでやるべきことはすべてやり終えた、と思っていました。ちょうど九州支社長の任期が終わって東京に帰るか、というタイミングだったんですが、帰ってもサラリーマンとして先があるわけでもない。大高建設で新しい挑戦ができる、というのは自分にとってもありがたいことでした」(徳永副社長)。

 日鉄エンジニアリングとの関係性をより強くしながらも、企業としての独立性は揺るがない。この奇跡のような事業承継が実現したのも、孝朋会長が創業以来積み重ねてきた実績と信頼あってこそのことだろう。

 孝朋会長は齢90を超えても矍鑠として意気軒高。1つだけ残念だというのは、自社の現場に立ち入れないことだという。「私が行くと、どうしてもみんな私のほうを見てしまう。次の世代を育てるためにはそれではいけないのですが、現場に行けないのはさみしいというか、悔しいですな」。

(株)ジェネック 福岡ロジテックセンター 香椎浜倉庫新築計画
(株)ジェネック 福岡ロジテックセンター 香椎浜倉庫新築計画

<COMPANY INFORMATION>
代 表:大木孝一郎
所在地:福岡市博多区上牟田1-29-6
設 立:1975年3月
資本金:9,500万円
TEL:092-414-2222
URL:https://www.o-taka.com

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