2024年12月22日( 日 )

文化にとっての政治と経済(中)文化は政治の基礎

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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

 前節で扱ったミアシャイマーやサックスに、文学研究者を自認する私が興味をもつようになったのは、イスラエルが前々から気になっていたからだ。

 アメリカやヨーロッパやイスラエルの何人かのユダヤ人学者と親しくなるにつれ、必ずしもすべてのユダヤ人がイスラエルを支持しているわけではないとわかってから、イスラエルを注視するようになった。

 たとえば、イスラエル出身のアリ・オッフェンゲンデンは、母国を捨ててアメリカに渡ったユダヤ人である。その彼は、私が国家神道の話をしたとき、「まるでシオニズムだね」と言った。

 シオニズムこそはイスラエルの国家理念。古来のユダヤ教と近代ナショナリズムを合体させたものだ。彼と話して以来、私はイスラエルを近代日本と重ねて見るようになった。宗教を政治化すると、ロクなことはない。

 私の専門である比較文学では、文学を文化の一環と見る傾向がある。たとえば、日本文学を日本文化の所産と見るのだ。文学は国境を越え、異なった地域にも影響力がおよぶとはいえ、個々の作品は特定の言語で書かれており、特定の文化に根ざしている。だから、文学作品を真に評価するには、その土台となっている文化をつかむ必要があると考えるのだ。

 この見地から世界の政治を見ると、いくらグローバル化の時代といっても、文化のちがいが見えざるを得ない。文化の差異を無視して強引に事を進めると良いことはない、とわかって来る。現実の世界は、そうしたことをまったく気にせず、「力」のみで進行しているように見える。そのせいで、ますます政治から眼が離せなくなる。

 たとえば、ロシアの政治は革命前から基本的に変わらず、専制君主型の政治だ。こんなことをいうと「偏見だ」と言われそうだが、ロシア文学を読めば、その根底にロシア正教の精神があり、それが民衆の心の拠り所になっていることがわかる。そこには、西欧やアメリカの自由主義や民主主義とは異なった価値観がある。

 ロシアの政治はロシア的世界観を反映している。すべてがすべて「文化」で割り切れるわけではないにせよ、ある国の政治の在り方を、その文化的基盤を見ずして判断することは危険だと思う。

 旧ソ連で歳月を過ごしたドイツ出身の物理学者が言っていたことを思い出す。「欧米がロシア文化を理解せず、自分たちの論理でロシアを非難するのは大きな間違いだ」と。ロシアの政治を肯定するわけではないが、私はこれを支持する。

 世界のどの文化にもそれぞれ個性があり、それぞれの歴史がある。これらに優劣をつけてはならないというのが私の立場だ。ロシア式専制君主政治を一概に西欧型自由民主主義の価値観で裁くべきではない、と思う。

 というわけで、現代のメディアがやたらにウクライナ支持を喧伝し、ロシアを悪者に仕立てるのにはうんざりする。私たちを世界戦争に駆り立てようとする見えざるイデオロギーが、その背後にはたらいているようにさえ思える。

 そもそも現代の主流となっている価値観には、さまざまな文化をそれぞれに評価する視点が欠けている。「地球は1つ。人類はみな兄弟」と叫んで多様性を否定し、超大国による世界統一を目指している。その意味で、帝国主義は終わっていない。

アメリカ イメージ    現代世界をリードするのはアメリカだが、アメリカこそは世界を悪くしているのではないだろうか。そのアメリカに追随するEUや日本なども、もちろん責任がある。アメリカの問題点は文化への眼差しが欠けていることで、1960年代は活発だった文化人類学も、今やほとんど影響力をもっていない。

 前出のミアシャイマーは、そういうアメリカを、自らの価値観を他の国々に暴力的に押し付け、それがうまくいかずに焦っている国だと批判している。彼はそうは言っていないが、2001年のニューヨーク同時多発テロはそうしたアメリカへの反発の表れということになろう。

 私自身はイスラム原理主義のテロを支持しないし、ミアシャイマーにしてもこれを肯定はすまい。いかなるテロ行為にも、ある種の自己欺瞞が潜んでいることは明らかである。しかし、自分たちの価値観が世界で一番正しく、世界史はその方向に進まなくてはならないという信念がアメリカにあるとすれば、それは世界を不幸にする。ミアシャイマーには自国アメリカにそういうイデオロギーがあることを、よく知っている。

 ミアシャイマーがいかに優れた学者であるかを示す彼の言葉を引いておこう。1941〜45年の日米戦争に関するものだ。「真珠湾攻撃はアメリカが日本を追い詰めた結果であって、日本だけに責任があったわけではない」「日本の敗戦が決定的となった時点でアメリカが原爆投下をしたことは、間違いなく戦争犯罪であった」

 このような学者をもつアメリカは、まだまだ捨てたものではない。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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