2024年12月23日( 月 )

小池都知事追及の急先鋒、上田令子都議に聞く 小池百合子の権力欲と都民ファーストの利権追及(前)

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ジャーナリスト 横田一 氏

 7月の東京都知事選挙で小池百合子氏は三選をはたした。その一方で、かつて小池氏を応援した人々が小池氏の批判に転じ、学歴詐称問題の告発など包囲網も狭まりつつある。上田令子・東京都議もその1人だ。なぜ上田氏は小池氏と袂を分かち、批判を続けているのか。上田氏の証言から小池氏と都民ファーストの実態が暴露される。
※本稿は、24年8月末脱稿の『夏期特集号』の転載記事です。

明らかになる小池知事の正体
なりふり構わぬ権力欲の塊

 「小池百合子知事は『女性初の総理大臣』という権力の頂点を極めたいだけです。空虚な権力欲に翻弄されているともいえますが、それで2017年秋に希望の党と民進党との合併で政権奪取をしようとした。そんな野望のために『都政を使うな』『踏み台にするな』と言いたくなります。三選をはたした今も国政転身を虎視眈々と狙っているのは間違いないでしょう」。

小池都知事追及の急先鋒、上田令子都議
小池都知事追及の急先鋒、上田令子都議

    こう話すのは、小池知事追及の急先鋒として知られる上田令子都議(地域政党「自由を守る会」)。今回の都知事選でも、小池知事が6月12日に出馬表明発言をした都議会最終日にたった1人で不信任案を提出。都民ファーストや自公などの反対多数で否決されたものの、小池都政への異議申立を目に見えるかたちでアピールした。

 小池知事の側近中の側近だった小島敏郎氏が「爆弾告発」(『文藝春秋』5月号)をした学歴詐称疑惑についても、石井妙子著「女帝 小池百合子」が出版された4年前の20年当時から都議会で何度も質問。知事自身しか答えられない質問なのに代わりに都幹部に答えさせるという「答弁拒否」を経験するなど、小池知事追及の先頭に立ち続けてきた。

6月11日に記者会見をした朝堂院大覚氏
6月11日に記者会見をした朝堂院大覚氏

    現場に足を運ぶフットワークも軽快で、神宮外苑再開発の反対運動に参加して説明役を買って出たかと思えば、出馬表明前日の6月11日に開かれた元ナミレイ(冷凍機メーカー)会長・朝堂院大覚氏の記者会見にも参加して質問。小池知事の過去をよく知るキーマンとも関係を構築してきた。ちなみに「女帝」に何度も登場する朝堂院氏は、父親の政治好きで大借金を抱えて一家破産状態だった小池家に資金援助をした恩人だが、小池知事がカイロ大学中退して空手雑誌づくりを始めた過去も会見で暴露、「嘘を取り消し、出直してくれ」と訴えた。

八丈島の小池百合子 戸別訪問で公選法違反か

 厳しい質問をする議員や記者の質問にまともに答えようとしない差別的対応(排除の論理)は小池知事の特徴の1つだが、三選をはたした今回の都知事選でも随所でそれが現れた。

 小池知事は告示日(6月20日)に第一声を挙げる街頭演説を行わず、ごく少数の支援者と記者だけが入ることができた選挙事務所内での出発式だけに止めた。「カイロ大を卒業したのか」「学歴詐称疑惑はどうした」といった質問やヤジが飛ぶのを恐れていたとしか思えない対応を取っている。そして告示2日後の6月22日、小池知事が初めての街宣場所に選んだのは八丈島だった。

八丈島で初の街頭演説する小池都知事
八丈島で初の街頭演説する小池都知事

    そこで筆者は前日から夜行船で現地に向かい、空港で待ち構えて「ヤジをさけて、八丈島か。(蜜月関係にある)“萩生田百合子”と呼ばれたくないのか」「(学歴詐称疑惑に関する)小島さんの刑事告発について一言」などと声掛け質問をした。また、八丈島での追っかけ取材では、公選法違反の戸別訪問疑惑も浮上した。小池知事は公明党山口那津男代表のポスターが貼られた民家で約30分も滞在した後、自らの政策ビラをもって出てきたのである。

 この直撃動画を6月24日のネット番組「横田一の現場直撃」で公開すると、翌25日に上田都議はX(旧・ツイッタ―)で引用、「個別(戸別)訪問までして…必死 なぜか繁華街での街頭演説が少ない」「率直な意見を有権者にいわれるのがイヤなのでしょう」とコメントもした。

 上田都議はこう振り返る。「都知事選ではこうした戸別訪問を八丈島だけでなく、都内全域でこまめにやっていたのだろうと思いました。初当選をした16年の都知事選は浮動票を獲得して圧勝しましたが、今回は企業団体や宗教票を固める組織選挙を展開していました。業界団体が小池知事に呼ばれたという話も聞きました。『伐採女帝』と呼ばれることになった神宮外苑再開発や学歴詐称疑惑で浮動票獲得が難しいと判断、自民党得意の組織選挙に切り替えたのでしょう」。

小池都知事との決別 小池与党の強い束縛

 今では小池知事を一刀両断にする上田都議だが、百合子旋風が吹き荒れた16年の都知事選では小池知事支援をいち早く始めたファーストペンギンだった。しかし小池知事が希望の党を立ち上げた直後の翌17年10月5日に都民ファを離党、袂を分かつことになった。

 筆者は小池知事と決別した理由について上田都議に「国政重視の姿勢が鮮明になったためか」と聞くと、上田都議はこう答えた。

 「希望の党立ち上げの前から離党を決めていた。小池知事の側近で今は東京都の水道会社社長に天下った野田数・元都民ファ代表が『この質問をしてはダメ』『自由を守る会を解散しろ』と議会活動や政治活動に縛りをかけてきたので都民ファを出るしかないと思うようになった。それで、小池知事に一番ダメージを与えられるタイミングを見計らっていました」「絶対に都民ファを出ようと思ったのは、常任委員会での資料請求も質問も自由にできなかったことでした。これほど束縛されるのでは、都民のための議会活動ができない。小池都政を容認するだけの『小池都政オールイエス』になってしまうという危機感が高まっていったのです」。

 ただし都民ファ離党については前日(10月4日)に小池知事に伝え、そのときのやりとりは録音。音声データを聞かせてもくれたが、小池知事は「(与党都議でなくなるのは)もったいない」と引き止めた。上田都議はこう続けた。

 「自民党と対峙して今までと違う政治を目指すと言っていたので、自由な議会活動ができると思っていたら、そうではなかったと。結局、小池知事は『与党には大きな力があって、できることがある』と言って引き止めようとしたが、私は『小池都政オールイエス』では何もできていないではないかと思っていたので、離党したのです」。

(つづく)

(後)

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