2024年11月19日( 火 )

【揺れるセブン&アイ(1)】 創業家MBOで外資買収に抗戦(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

中興の祖と祖業の不振

イトーヨーカドー津田沼店 イメージ    かつて、日本一の売上を誇ったイトーヨーカドー津田沼店を訪問したことがある。地下の食品売場を見ていたとき、BGMが突然、雨、雨、ふれふれと童謡「あめふり」に変わった。たまたま乳製品の売場にいたのだが、担当者がいきなり5円引きのマークダウンシールを手に売場に出てきて牛乳パックに貼り始めた。雨が降り始めたことで、来店客減少による販売量の変化に対応するためと案内の食品フロアマネジャーから聞いた。

 たしかに雨が降ると客数だけでなく、牛乳などの重いものや、かさばる商品の販売数が落ちる。5円引きで陳列数の消化は可能なのかと聞くと、「ほぼ完売する」と自信ありげに答えた。業界誌で牛乳の発注精度で日本一といわれたイトーヨーカドーだったが、当時から全売場に業界に先駆けて単品管理を徹底実施した。それを学ぼうと、小売業各社がこぞってイトーヨーカドー詣でを繰り返した。しかし、彼らが実施していたのは寒さに震えながら、冷蔵保管庫のなかで牛乳と睨めっこするような泥臭い作業の繰り返しで、KKD(勘と経験と度胸)商品を仕入れると自ら揶揄するほかの大手スーパーが真似のできるものではなかった。

 そんなイトーヨーカドーがコンピューターによるPOS管理を導入したのは1982年。そのときのイトーヨーカドー社員の感想は「これで単品管理が楽になる」という溜息にも似たものだった。

 単品管理の効果はひとえに売れ残りの削減だ。高度成長時、商品は品切れすることはあっても余ることはまれだったが、店が増え、成長が終わるころには過剰在庫が大きな問題になった。値下げをしても売れ残る在庫が大手各社の深刻な経営危機を招く。そんな中、イトーヨーカドーは「最高質の小売業」との評価を得ながら、順調に成長を続けた。彼らの業務改善への取り組みは「行革」といわれ一世を風靡した。その間、ダイエーや西友をはじめ、当時の大手小売業はイオンを除いて次々に消えた。そんなイトーヨーカドーの代表格だった津田沼店がこの9月、46年の歴史に幕を閉じた。

 セブン&アイは「コンビニ、総合スーパー、スーパーマーケット、レストラン、百貨店、金融、IT」の7つの事業と「愛」から名付けたといわれるが、業界雀は鈴木敏文氏が自ら育てたセブン-イレブンの「7」を創業伊藤家「i」の前に出すことで創業オーナーをけん制することを企図して名付けたとささやいたものだった。

 そんな主業のなかでうまく行っているのはコンビニと金融だが、なかでもコンビニは別格だ。

 かつて鈴木敏文氏は、イトーヨーカドーも「セブン-イレブン的行革で元の姿に戻る」と豪語してその改善に乗り出した。しかし、結果として連続赤字からの脱却はできなかった。理由は簡単だ。GMSという業態が市場ニーズから消えてしまったからだ。ハンドバッグやパンスト、カメラフィルムといった類の商品をいくら努力して販売しても、それは決してピーク時には戻らない。

 ユニクロが業績拡大を続けるのはカジュアルという肌着感覚の高頻度消費、低価格の新市場をつくったからだ。しまむらは大規模店舗と逆に、狭い面積で多品種の日常アパレルをワンストップ購入できるような非ユニクロ、非大型店売場をつくっている。いずれも短時間での買い物が気軽にできる。大きな駐車場と広い売場は、時間があり余るお客にはいいが、時間消費が問題になる現代では週末以外のニーズは低い。このショートタイムこそ、コンビニの肝だ。

カナダからの手紙

 祖業が揺らぐ今、イトーヨーカドーといえば、いうまでもなくコンビニのセブン-イレブンが主力だ。そのセブン-イレブンが大きく揺れている。

 セブン-イレブン誕生のきっかけは、1974年に施行された大規模小売店を規制する法律だ。通称大店法と呼ばれる同法により、四半世紀の長きにわたって、売場面積500m2以上の店は極めて厳しい出店規制が行われた。

 規模拡大という成長は小売業にとって必須である。価格競争のための取引条件の改善だけでなく、大量採用した若い人材を経年とともにそれなりのポジションにつけなければならない。そのためには連続しての出店が欠かせない。しかし、地方中小小売業の団体である商工会を中心に規制強化のうねりが強まり、結果として規制法が成立した。

 背に腹は代えられないとして鈴木敏文氏がアメリカのサウスランド社と提携し、ヨークセブン(後のセブン-イレブン・ジャパン)を設立し、専務取締役として同社の実質トップに就き、フランチャイズでの店舗展開を始めた。周囲の大反対を押し切ってのセブン-イレブンへの取り組みだったが、まず、若者がこの新業態を受け入れた。若者はやがて歳を重ね、新たな若者が顧客に加わる。当時の若者はいまや80歳だ。まさに「セブンイレブンいい気分」だ。

 一方、師匠のサウスランド社は70年代に2度発生した石油ショックによる経営危機に対処するために不動産投資、石油精製などの多角化を図ったがうまく行かず、80年代には経営危機に瀕した。その後、アクティビストから買収を仕掛けられ、創業者一族でその防止を図ったものの、うまく行かず、2005年に救済買収のかたちでセブン&アイの完全子会社になった。

(つづく)

【神戸彲】

関連キーワード

関連記事