2024年12月23日( 月 )

「新しい階級社会」─貧困アンダークラスと凋落する自営業者層(前)

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早稲田大学 人間科学学術院
教授 橋本健二 氏

 40年間にもおよぶ格差拡大の果てに日本が行き着いたのは、非正規労働者が膨大な貧困層を形成し、自営業者層が苦境に立たされて「中間階級」としての実質を失った「新しい階級社会」である。この社会では格差拡大の是非が新たな政治的争点として浮上し、政治のゆくえを左右することになる。

「新しい階級社会」の出現

早稲田大学 人間科学学術院
教授 橋本健二 氏

    1945年の敗戦の後、狭い国土に膨大な人口を抱えた貧困国として再出発した日本は、戦後復興と高度経済成長を経て豊かな社会となり、一時期は「一億総中流」などといわれた。ところがその後まもなく、日本は格差拡大の時代を迎え、今日では「格差社会」という評価がすっかり定着している。

 格差に対する代表的な指標であるジニ係数を例にとろう。ジニ係数は格差が最大のときに1、まったく格差がないときにゼロの値をとる係数で、計算の基礎となる所得としては、給与所得や事業所得などの合計である当初所得と、当初所得から税金を引かれ、社会保障給付が行われた後の再分配所得が使われることが多い。当然、再分配所得のほうが格差は小さく、ジニ係数は低めに出るのだが、それでも格差拡大はあきらかで、1980年に0.314だったジニ係数は、83年に0.343と跳ね上がり、その後も上昇を続けて2004年には0.387に達した。その後はほぼ横ばいで、20年は0.382となっている。

 格差はなぜ拡大したのか。視点の取り方によって、いくつかの回答が考えられるが、社会学の視点から答えるなら、それは社会の階級構造が変わったからである。

 これまで、一般に資本主義社会には、4つの階級が存在するとされてきた。両極に位置するのは、企業の経営者からなる階級である資本家階級と、現場で働く労働者階級である。しかしそのほかに、2つの中間階級が存在する。1つは企業とは別に、独立自営の農業や商工サービス業などを営む人々、もう1つは企業で働く管理職・専門職・事務職などである。前者の人々、つまり自営業者は経営者としての側面と現場で働く労働者としての側面を兼ね備えているという意味で中間階級なのだが、資本主義が発達する以前から存在する古い階級なので、旧中間階級と呼ばれる。これに対して後者は、企業において資本家階級と労働者階級の間に位置するという意味で中間階級なのだが、企業規模の拡大にともなって新しく生まれてきた階級なので、新中間階級と呼ばれる。

 4つの階級の所得水準は、資本家階級が高く、労働者階級が低く、2つの中間階級は中間に位置する。しかし高度経済成長期の終わりごろには、製造業を中心に労働者階級の所得水準がかなり高くなり、中間階級との格差が縮小していた。ところがその後、経済のグローバル化と脱工業化・サービス経済化、そして新自由主義の浸透という波のなかで、変化が生じた。

 第1の変化は、これまでの労働者階級を特徴づけていた安定雇用と相対的に高い賃金が一般的でなくなり、低賃金の非正規労働者が増加したことである。第2の変化は、グローバル企業の発展にともなって、極めて高い所得を得る資本家階級や新中間階級が増加したことである。そして第3の変化は、新自由主義の影響下で国家の経済的役割が縮小し、零細企業や自営業者を保護してきた規制が撤廃され、旧中間階級の基盤が弱体化したことである。こうして形成されたのが、現代日本の「新しい階級社会」である。

 このため労働者階級の所得は、全体として低下するとともに二極分化が進行した。正規雇用の労働者階級が相対的に安定した所得を確保する一方で、拡大した非正規労働者は巨大な貧困層を形成するに至っている。かつて非正規労働者は、その多くが学生アルバイト、パート主婦、定年退職後の嘱託など、人生の一時期のものであり、必ずしも貧困と結びつくものではなかった。

 ところが現代の非正規労働者は、学校を出た後、あるいは就職してしばらく後に非正規労働者となり、そのまま滞留し続けることが多く、すでに正規雇用の労働者階級とは別の階級を形成するに至っているとみることができる。これらパート主婦以外の非正規労働者を、ここではアンダークラスと呼ぶことにしたい。

【図1】現代日本の「新しい階級社会」

 「新しい階級社会」の構造を図式化したのが、【図1】である。階級構造は大きく、旧中間階級が位置する自営業者の領域と、その他の階級が位置する資本主義的企業の領域の2つに分かれている。資本主義的企業の領域は、人数の少ない資本家階級を頂点に上下に積み重なる仕組みになっているので、台形で表現している。新中間階級または正規労働者階級の夫とともに生計を営むことの多いパート主婦は、アンダークラスとは別に、新中間階級と正規労働者階級の傍らに位置づけておいた。

 戦後日本経済のなかで重要な役割をはたしてきた旧中間階級は、いまや658万人で、全就業者の10%あまりを占めるに過ぎない少数派となった。これに対して新しい下層階級であるアンダークラスは890万人と、旧中間階級を大きく上回っている。資本家階級は250万人、新中間階級は2,051万人、正規労働者階級は1,753万人、パート主婦は788万人である。

(つづく)


<プロフィール>
橋本健二
(はしもと・けんじ)
1959年石川県生まれ。早稲田大学人間科学学術院教授。専攻は社会学(階級論、労働社会学)。量的データと質的データを組み合わせながら、近現代日本の階級構造とその変動過程を分析するとともに、これに関連する労働と大衆文化の変遷についても研究する。著書に『新・日本の階級社会』(講談社)、『現代貧乏物語』(弘文堂)、『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出書房新社)、『居酒屋の戦後史』(祥伝社)、『女性の階級』(PHP研究所)など。

(後)

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