2024年12月23日( 月 )

若者の希望はどこに行く 格差をバーチャルで埋める時代に(前)

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中央大学 文学部
教授 山田昌弘 氏

 日本は平成を通じて若者の格差が拡大し、未婚化と少子化が急速に進行した。だが、生活に対する若者の満足度はむしろ増加傾向にあり、結婚できる若者とそうでない若者を峻別したのは「希望」の格差であった。令和となった今、格差は完成し親から子へ受け継がれ、さらに現実での充足をあきらめてバーチャルによって埋める時代になりつつある。

経済停滞、格差拡大が続く日本社会

中央大学 文学部 教授 山田昌弘 氏
中央大学 文学部
教授 山田昌弘 氏

    平成時代(1989-2019)の日本は、経済停滞、かつ、格差拡大の時代だった。

 昭和末期、バブル経済の時代は、「Japan as No.1」と言われ、1990年には、1人あたりGDPは、世界10位、アメリカ(11位)やイギリス(16位)ドイツ(18位)より上、アジアでは香港(26位)シンガポール(27位)より上で、韓国(42位)の約4倍あった。MIDが発表する世界競争力指数は、不動のNo.1であった。このままいけば、日本が世界で一番豊かな国になれるのではないかという「夢」を抱く人も多かったろう。

 しかし、令和に入ると、規模の面で中国、そして人口が日本の3分の2しかないドイツにも抜かれる。そして、2023年、1人あたりGDPは、アメリカやシンガポールの約2分の1、香港の3分の2、台湾や韓国にも抜かれる。競争力に至っては、23年に64カ国中35位に沈み、欧米諸国はもちろん、タイやインドネシアよりも下にいる。

 世界的にみて日本は相対的に貧しくなり、もはや豊かな先進国とはいえない状態にまでなっている。

 経済が停滞するなか、経済格差、とくに若者の間での経済格差が広がった。昭和の末期に非正規雇用者といえば、学生やパートの主婦と決まっていた。しかし、バブル経済崩壊後、非正規化が進行し、契約社員、派遣社員など、低収入で昇給のない仕事に就く人が増えていく。若い人を中心に経済格差が広がっていったのである。

 経済格差拡大の結果、家族格差も広がる。日本では、経済的条件が整わなければ、若い人はなかなか結婚に踏み切らない。経済力がない男性は結婚相手として選ばれにくい。その結果、未婚化が進行し、子どもの数が減るのである。昭和末期、1985年の30~34歳の未婚率は、男性28.2%、女性10.4%であった。しかし、20(令和2)年の時点では、男性51.9%、女性38.5%となっている。出産、子育て期にある男性は過半数、女性は4割弱が未婚であれば、子どもが生まれるわけはない。結婚して子どもを2人くらい育てている若者と、未婚で多くは親と同居している若者の格差が拡大しているのである。

 さらに、近年は、「貧困化」も話題になっている。相対的貧困率は、先進国のなかではトップクラスである。離婚も増えている。シングルマザーや親に頼れない若者も増え、低収入で暮らさざるを得ない人々も増えている。

平和で生活満足度が高い日本社会

 しかしである。次の【表】をみてみよう。これは、1973年からNHK放送文化研究所が5年ごとに行っている調査である。日本人の生活満足度は、平成時代を通じて、大幅に上昇している。とくに、若い人の満足度の上昇が著しく、2018年の調査では、「衣食住」に関して若年層では95%が満足しているという結果がでている。ちなみに、1973年調査では、20代前半64%だった。

 また、内閣府の国民生活に関する世論調査をみても、令和に入りコロナ禍と物価高を経て生活満足度は急速に低下しているが、少なくとも平成を通じて「生活満足度」は上昇しているのである。

生活に満足している
1989(平成元)年調査63.1%

2019(令和元)年調査73.8%

 つまり、平成を通じて経済は停滞し、給与は増えない。経済格差は拡大し、非正規雇用に付かざるを得ない若者が増える。結婚率も低下し、結婚したくてもできない若者が増える。そして、貧困率も高まった。しかし、多くの人の生活満足度は高いままである。かつ、格差拡大の影響を最も受けているはずの若者たちの満足度が、高くなっている。

 これをどのように考えたらよいのだろうか。

 戦後の若者の状況を「希望」という観点から考察してみよう。

希望の時代から親ガチャへ

戦後の昭和期──希望の時代

 若者にとって、戦後から昭和の終わり、つまりバブル経済期までは、若者にとって「希望の時代」ということができよう。

 私は20年前の『希望格差社会』のなかで、「努力が報われると感じたときに希望が生じる」というカナダの社会心理学者の言葉を引用した。まさに、当時の若者は、努力すれば将来「豊かな生活」が築けるという希望をもって社会に出ることができた。

 高度成長期からバブル経済期にかけては、当時は、工業化が進み、男性は、正規雇用者として就職することが容易だった。日本的雇用慣行の元、男性であれば、失業の心配はなく、年功序列で収入は増えていく。

 また、当時は、若者の95%の人が結婚した時代である。結婚相手の収入が安定して増える見込みがあるため、女性は安心し結婚して専業主婦になって、子育てに専念することができた。

 そして、夫は仕事に、妻は家事・育児に努力すれば、「豊かな家族生活」を築くことができるという希望をもつことができたのである。このような性別役割分業型家族が、日本のスタンダードになっていく。

 もちろん、当時でも格差はあった。豊かな家族生活を早く実現できている家族もあれば、なかなか実現できない家族もあるだろう。しかし、当時は、「格差」があっても追いつくことができると信じることができた。たとえ、今社宅や団地に住んでいても、いずれ収入が高くなり、頭金を貯めれば、マンションや一戸建を買うことができる。自分は中卒、高卒でも、教育投資をすれば、子どもを自分よりも上の学校に行かせられるという期待をもてた。世代内、世代間で格差は、いずれ解消し、今富裕層が送っているような暮らしを、自分たちも実現できると思うことができた。そして、成長経済の波に乗って、多くの人はそれを実現していったのである。

 もちろん、庶民が豊かな生活を実現したと思ったときには、富裕層はもっと豊かな生活を実現していたが、その時でさえも、いずれ追いつくと思えたのである。

※本稿の内容は、25年1月出版予定の書籍『希望格差社会、それから』(東洋経済新報社)にて詳しく論じられる。

(づづく)


<プロフィール>
山田昌弘
(やまだ・まさひろ)
1957年東京生まれ、81年東京大学文学部卒。86年同大学院社会学研究科博士課程退学。東京学芸大学教授を経て、2008年より中央大学文学部教授。現在、内閣府・男女共同参画会議民間議員、東京都社会福祉審議会委員などを務める。専門は家族社会学。家族や結婚、格差について社会学的な分析を行い、「パラサイト・シングル」「格差社会」「婚活」という言葉を世に普及させた。著書多数。

(後)

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