現代ヨーロッパの問題点~判断力喪失の時代~(前)
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福岡大学 名誉教授
大嶋仁 氏現代世界は「判断力の喪失」を病んでいる。世界をリードするアメリカ然り。それに同調するヨーロッパも日本も然り。かつて世界の中心文明であったヨーロッパは、2つの大戦で疲弊し、戦後はアメリカに依存し続け、その栄光は失せた。問題は、最後の牙城である「啓蒙思想」をもちこたえられるかどうかである。
(1)現代世界
本稿でいう「ヨーロッパ」は英仏独などの「西欧」を指すと思っていただいて結構である。そのヨーロッパを問題にする前に、日本を含めて世界全体が大きな危機に面していることを述べておきたい。現代世界は「判断力の喪失」を病んでいるのだ。「どこへ行ってよいのか、わからない」状況である。
このことを端的に示すのが、現代世界のリーダーともいうべきアメリカである。世界中が非難しているイスラエル政府のパレスチナに対する蛮行を、それとわかっていながら軍事的にも経済的にも援助し続けている。
どうしてそうなるのかといえば、発想とシステムが時代遅れだからである。冷戦は随分前に終わっているのに、依然として発想とシステムが冷戦時代のまま。これでは何をどうしてよいのかわからなくて当然である。
だがしかし、これはアメリカだけの問題ではない。ヨーロッパも、日本も、同じである。状況を先読みして新たなシステムづくりをする力に欠けると、既得権の確保にしか頭が回らない。それが現代世界の現状である。中国でも同じだろう。
さて、世界全体が同じ症状を呈しているということは、「世界が1つになっている」ことの表れである。それをアメリカのせいにすることもできるが、原因はもっと普遍的で、広範囲に存在するものである。「気候変動」のせいであるとか、「原子力の開発」が地球を汚染しているためだとか、あるいは「資本主義システム」が巨大になり過ぎて誰もこれを止められないとか、いろいろ意見が出ているが、いずれも一考に値する。IT革命が人類の知能を一面で発達させたものの、他の多くの面が犠牲にされているという見方も成り立つのである。
現代世界には知的リーダーがいない。本来なら、ヨーロッパがアメリカを指導する立場だが、それが機能していない。アメリカ国民の多くはヨーロッパからの移民であり、建国の精神である「自由」と「人権」はヨーロッパからの文化遺産である。しかし、実際にはアメリカのほうがヨーロッパを指導する立場になっている。ヨーロッパにとっては大きな屈辱だろう。
(2)ヨーロッパの盛衰
かつてヨーロッパは世界の中心だった。出発点は15世紀末のコロンブスによる新大陸発見である。これによって、ヨーロッパは世界制覇の道を歩み始めた。コロンブスの新大陸発見は地球科学的な知識に基づくものだったので、これを機にヨーロッパは科学において目覚ましい発展を遂げた。かくして、全世界の知性の中心となったのだ。
とはいえ、新大陸発見は人類全体から見れば不幸の始まりであった。未知の地にねむる巨大な富を求める植民地主義の時代が到来し、その結果、人類は征服者と被征服者とに分断されたのである。この未曾有の不平等が現在のヨーロッパを悩ませることになる。「移民問題」は、新大陸発見とそれに続く植民地主義との産物だからだ。
ヨーロッパのなかではイギリスが植民地獲得競争の先頭を走り、その後をフランスが追った。今の世界で最もよく通じる言語は英語であるが、それはアメリカの影響である以上に、イギリスが世界中に植民地をもった結果である。
イギリスがほかのヨーロッパ諸国に先んじることができたのは、この国で蒸気機関が発明され、その結果として産業革命が起こったからだ。近代科学の発祥といえばガリレオのイタリアとデカルトのフランスだが、その応用としてイギリスがほかに先んじて蒸気機関を発明した。これを交通手段や生産活動に活かしたことで、産業革命となったのだ。
産業革命は大量生産を可能としたため、それまでとは比較にならないほど生産力が増大した。また、それにともなって原材料と市場を海外に求める必要が出てきたため、植民地の拡大が必至となった。かくして植民地主義は帝国主義へと変貌した。
市場が拡大され、1人イギリスのみならず、ヨーロッパ全体が「世界の工場」となって、莫大な利益を世界中から吸い上げた。こうして、資本主義の時代となったのである。
資本主義は一部の国の資本家や生産者を利することはあっても、残りの人類にとっては不幸の源である。被植民地は宗主国の犠牲となって貧困に苦しみ、ヨーロッパ内でも貧富の差が拡大して数々の社会問題が生まれた。農業から工業へと産業の中心が移ると、都市に人口が集中するようになり、共同体がなくなってしまう。旧来の宗教的価値観は崩れ、人々は精神的空洞を抱えるようになった。
資本主義は倫理観の喪失を促進しただけではない。国家間の競争を激化させ、戦争の引き金ともなった。第1次および第2次世界大戦はその結果であり、これがヨーロッパ全体を疲弊させた。
(3)NATO
ところで、「ヨーロッパ」という概念であるが、すでに18世紀にこの概念は消滅している。「ローマ文明の遺産の共有」を意味したこの概念は、18~19世紀にかけてのナショナリズムの抬頭で、消え去ってしまったのだ。
19世紀になると、ヨーロッパのそれぞれの国がナショナリズムに基づいて自己主張を始める。なかでも後発のドイツが「新興強国」として頭角を表しはじめ、既存の権利を有していたイギリスやフランスを脅かすことになった。これが第1次世界大戦勃発の要因である。
この大戦はかつてないほど多くの犠牲者を出した。戦後処理はフランスが膨大な賠償金をドイツに支払わせるというかたちをとったが、そのせいでドイツは極度の経済不況に陥り、人々は精神の拠り所を失ってしまった。そういう彼らがヒトラー率いるナチス党に熱狂的に靡いたとしても、不思議はない。
2つの大戦がヨーロッパにもたらしたものは先にも言った「疲弊」のほかに、「自信喪失」である。大戦を終結に導いたのがヨーロッパではなくソ連とアメリカだったということは、「ヨーロッパの時代」が終わったことを意味する。
ヨーロッパがあれほど自慢していた科学技術にしても、第1次世界大戦では毒ガス兵器を生み、第2次世界大戦では原子爆弾を生み出した。「人類を啓蒙する」という大義名分は、かくして崩れ去った。
戦後のヨーロッパはアメリカに完全依存するようになった。「かつての栄光」を取り戻し、二度とヨーロッパ内で戦争が起きないようにという願いから、ヨーロッパ共同体構想(=現在のEUの母体)を立ち上げはしたが、自信回復にはならなかった。この構想はドイツやフランスには有利であっても、イタリア・スペイン・ポルトガル・ギリシャにとっては過酷な桎梏となり、しかもそれぞれの国が文化的独自性を失う結果となった。
経済機構であるEUはアメリカにさほど依存していないが、問題は北大西洋条約機構、すなわちNATOである。ヨーロッパはこれによって軍事面でアメリカと緊密に結ばれ、アメリカの要請でヨーロッパの軍事が決まるということになってしまった。つまり、ヨーロッパはもはや「自立した世界」ではなくなったのである。
NATOのヨーロッパは、アメリカの敵であったソ連と対決せざるを得なくなった。「冷戦」という名の米ソ間のイデオロギー闘争に巻き込まれることになったのだ。冷戦が終わってもそれが続いていることは、ウクライナ戦争に対するヨーロッパの立ち位置をみればわかる。
ヨーロッパは文化的にも衰退している。かつて世界に誇った思想の多様性が徐々に許されなくなってきているのだ。18世紀以来自負してきた「啓蒙の光」は輝きを失い、その批判精神も影の薄いものとなった。現在のヨーロッパには、もはや世界を導く思想はない。
とはいえ、私たちはそれでもヨーロッパを必要とする。20世紀の前半から1960年代までにかけての思想の光は、今も私たちの生を照らす。だから、もう「ヨーロッパは終わった」と簡単に片付けるわけにはいかない。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。福岡大学名誉教授。からつ塾運営委員。東京大学で倫理学、同大学院で比較文学比較文化を修め、静岡大学・ペルー=カトリック大学・ブエノス=アイレス大学・パリ国立東洋言語文化研究所を経て、1995年から2015年まで福岡大学にて比較文学を講じた。最近の関心は科学と文学の関係、および日本文化論である。著書に『科学と詩の架橋』『生きた言語とは何か』『1日10分の哲学』などがある。関連キーワード
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