2024年12月12日( 木 )

現代ヨーロッパの問題点~判断力喪失の時代~(後)

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福岡大学 名誉教授
大嶋仁 氏

 現代世界は「判断力の喪失」を病んでいる。世界をリードするアメリカ然り。それに同調するヨーロッパも日本も然り。かつて世界の中心文明であったヨーロッパは、2つの大戦で疲弊し、戦後はアメリカに依存し続け、その栄光は失せた。問題は、最後の牙城である「啓蒙思想」をもちこたえられるかどうかである。

(4)移民問題と啓蒙思想

イメージ    周知のように、第2次大戦後のヨーロッパは現在大きな問題を抱えている。移民問題である。戦後世界はアジア=アフリカ諸国の独立を促したが、その結果、経済的基盤の弱いそれらの国々から移住者が殺到した。彼らの大半は旧宗主国に向かい、旧宗主国は「人権」思想のもとにこれを拒むことができず受け入れた。それが今日の問題の発端である。

 経済的観点からみれば、移民は歓迎されるべきものだ。労働力の不足を補うからである。しかし、社会的にはそうはいかない。「異人種」や「異教徒」への差別は厳然と存在し、「異人との共存」を拒否する風潮は依然として根強い。というわけで、「人権尊重」という建前と、「移民排斥」という本音がぶつかり合うことになる。

 ヨーロッパ文明の最後の牙城は18世紀の「啓蒙思想」である。これがあるために、「移民への差別をなくし、彼らの人権を守る」という建前が前面に出る。昨今の右派勢力の増大はそれへの反動であるが、これが全ヨーロッパを覆い尽くすことになれば、ヨーロッパはヨーロッパでなくなる。はたして、「啓蒙」が「迷妄」になってしまうのか。もう少し様子を見たい。

 ところで、「啓蒙思想」であるが、現行の日本国憲法の支柱にもなっている。「基本的人権」「言論と信教の自由」などは啓蒙思想から生み出されたものだ。では、日本にこれらの思想が根づいているかといえば、部分的には根づいているだろうが、国民の心情にまで溶け込んでいるかどうかはあやしい。日本人は「啓蒙思想」を学び直す必要がある。

 そもそも日本の近代化には「啓蒙」が欠けている。幕末明治の日本人が知ったヨーロッパは「啓蒙」のヨーロッパではなく、「帝国主義」のヨーロッパだった。日本は「啓蒙」のヨーロッパを知る機会がなかったのだ。これは「近代化」にとって致命的なことであった。

 「啓蒙」については、アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』が最良の書だろうが、この本を理解するには「啓蒙」の本体を知っておく必要がある。その点で、私はヴォルテールの『哲学書簡』を推奨する。今からでも遅くはない。日本人はほんものの、「啓蒙思想」に触れなくてはならない。

(5)ソ連崩壊後

 「現代世界は判断力の喪失を病んでいる」と先に書いた。世界全体がこのような状況になったのは20世紀末のソ連崩壊によると見たい。ソ連崩壊の意味するところは、アメリカとソ連の「冷戦」が終わったということで、「アメリカにもはや敵なし」という時代がきたということである。だが、この1人勝ちは、アメリカにとって、また世界にとって、喜ばしいことなのだろうか。

 個人同士の関係でもそうであるように、国家間の「敵対関係」も「友好関係」の裏返しである。長い年月にわたって敵対しつつ交渉を続けたアメリカとソ連=ロシアの関係は、裏返しの友好関係なのである。その関係がなくなったとなれば、アメリカにとっては大きな損失であろう。それが現在のアメリカをいつになく狼狽させているように見える。

 ソ連崩壊後のアメリカは、はっきり言って「目標」を失った。敵なしの状況で「世界制覇」に乗り出そうとしても、何のためなのか確信がもてなくなったのだ。その不安定さが現在のアメリカ外交に反映し、それが世界全体に伝播し、「判断力喪失」の蔓延を生んでいる。

 「判断力喪失」の意味は、現代の日本人ならよくわかるだろう。日本の政治に方向性がまったく見えないと感じる人は多いにちがいない。これは単に日本の政治家の無能によるのではなく、世界全体、とくにアメリカが方向性を示せないことの反映なのである。

 では、日本はどうすればよいのか。落ち着いて自分を取り戻すことが第一である。そのためには、アメリカおよびヨーロッパの動きから距離をとる必要がある。でないと、将来、ますます混迷を深めるこの両地域の問題に巻き込まれ、完全に己を失ってしまうだろう。

(6)無人の時代

 ところで、アメリカが判断力を失った背景には、ソ連崩壊のほかにもう1つ要因がある。2008年のリーマン・ショックだ。この事件は、アメリカの資本主義がアメリカ自身を裏切ってしまった事件といってよいもので、無人飛行機で爆撃を行うように、高度に数学化した経済システムが、人のいないところで勝手に自己操作してしまった結果である。

 人がいないのだから、倫理のありようがない。そのような「無人時代」に入ってしまった現代世界が、「判断力」を失ってしまったとして当然である。「無人時代」を脱出できるかどうか、そこに世界の未来がかかっている。

 ヨーロッパを論じようとして世界全体を論じたのは、以上の内容から理解できるだろう。今や世界のどこをとっても、他の地域と緊密に結びついているのだ。

(了)


<プロフィール>
大嶋仁
(おおしま・ひとし)
大嶋仁 氏1948年生まれ。福岡大学名誉教授。からつ塾運営委員。東京大学で倫理学、同大学院で比較文学比較文化を修め、静岡大学・ペルー=カトリック大学・ブエノス=アイレス大学・パリ国立東洋言語文化研究所を経て、1995年から2015年まで福岡大学にて比較文学を講じた。最近の関心は科学と文学の関係、および日本文化論である。著書に『科学と詩の架橋』『生きた言語とは何か』『1日10分の哲学』などがある。

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