2024年12月11日( 水 )

いまフランスで何が起こっているのか?(前)

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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

「啓蒙思想」の失墜

フランス イメージ    フランスのバルニエ内閣が5日、総辞職に追い込まれた。野党を構成する2党、すなわち極左政党と極右政党が手を結び、少数与党の内閣を退陣させたのである。

 多くの人は「極左」と「極右」が手を結んだことに驚いたが、それほどまでに現政権の立場は弱いのだ。組閣者であるマクロン大統領は、「ただちに新首相を任命して、自分は2027年までの任期を全うする」と公言したが、はたして本当にそうなるのか。彼の求心力は地に落ち、政権運営は先が見えない。

 まず問題にすべきは、「どうしてフランスの政治状況に注目すべきなのか?」ということだ。「フランスがヨーロッパ連合の中核をなすから」という答えが一応はあるが、そうなると、「そもそもヨーロッパ連合とは何なのか?」という疑問が生じる。

 EUと称されるヨーロッパ連合は、第2次世界大戦でボロボロになったヨーロッパを再建することを目的とし、2度とナチズムのような凶暴な政治に巻き込まれず、同時にアメリカとソ連とは別の価値観を共有する経済圏を樹立しようという試みとして始まった。当初は「ヨーロッパ共同体」(EC)と呼ばれていた。

 この共同体は、戦後世界におけるアメリカとソ連という2大勢力に対峙し、第3の勢力として世界に君臨することを目指した。その原理として18世紀以来の「啓蒙思想」を堅持し、米ソの対立が第3次世界大戦へ発展しないように、自らを監視役に任じたのである。

 そういうわけで、EUは戦後世界にとって重要な意味をもつ。そしてその中心的な役割を担ってきたのがフランスなのだ。そのフランスが転けてしまうことは、フランスだけでなくヨーロッパにとって、さらには世界にとって深刻なことなのだ。

 当初フランスはイギリスと協働して、アメリカ側とソ連側に引き裂かれた敗戦国ドイツをヨーロッパの中心国家の1つとして復興させることを目指した。そして、ドイツ人の高い知的水準と勤勉な国民性とをヨーロッパ経済復興に利することを目論みたのである。

 この目論みは予想以上の成果を上げ、めざましく復興したドイツはヨーロッパ経済の中核を担うようになった。しかも、イデオロギー面でヨーロッパの範となるような民主的かつ自由主義的な国家に変貌したのである。フランスはこれを喜ぶとともに、この国の経済発展のすさまじさに不安を覚え始めるようになる。この不安こそは現在の政治的混乱の一因となるものである。

 さて、フランスのパートナーだったイギリスは、ヨーロッパ大陸とは異なる島国であることもあって、EUの政策とは距離を置くようになっていった。EUに属するどの国も、経済活動だけでなく政治活動までもが一定の制約を受けることになっていたため、もともと独自の原理で動いてきたイギリスには不満だったのだ。その不満がついに爆発し、16年のEUからの離脱決議となる。そして20年、完全離脱した。

 イギリスに背を向けられたフランスは、以降ドイツにひけを取らないよう努めてきたが、もともと享楽的かつ個人主義的な国民性に加え、旧植民地からの大勢の移民の流入がネックとなって国内秩序が失われ、生産力も上がらない状態が続いている。この政治経済における不調が、今日の政治混乱の直接の引き金となっているのだ。

 フランスの実力低下は経済面にのみ現れているのではない。自慢にしてきた「文化力」まで低下している。たとえば思想面を見ると、自慢の「啓蒙思想」が教条化し、人々の心を揺さぶるものになるかわりに、政争の道具となってしまった。

 そもそも「啓蒙」とは「無知な状態から脱すること」を意味するが、フランスでは「あらゆる既存のシステムへの批判をやめない」という意味をもってきた。それが教条化してしまえば、ただの「お題目」に過ぎなくなる。そうなれば、本来の「啓蒙」でなくなるどころか、思考の発達を抑える悪しきシステムに転じてしまうのである。

 かくしてフランスが誇ってきた「基本的人権」「社会的平等」「言論と信教の自由」といった信条が、思考停止の原因にまでなる。こんなことは、おそらく誰もが予想しなかったことだ。それだけではない。仮にもこれらのお題目を批判するような輩が現れれば、社会が、メディアが、国家が、それを一気に潰そうとする。これでは「啓蒙」どころか、一種の「独裁」なのである。「今のフランスでは自由闊達に議論もできない」とは、しばしばフランス人自身の口から漏れる言葉だ。

 ここまで来ると、「日本だって同じだ。アメリカだってそうではないのか?」という問いが生まれる。なるほどその通りで、世界中が「一次元的」思考に埋没しそうな気配なのである。そうであればこそ、「啓蒙思想の牙城」であったはずのフランスが重要になってくる。「フランスよ、しっかりしろ。自分たちの価値観と文化を台無しにするな」と言いたくなるのだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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