いまフランスで何が起こっているのか?(中)
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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏
日本にとってのフランス
多くの日本人にとって、フランスといえば「都市美の極致」と言われるパリであった。10年前までのパリの街角には日本人観光客が溢れていた。ファッションや香水、高級な料理と美しい街角を求め、一生に一度はパリを見たいと思っていたのだ。
知識人を自称する日本人はフランスの先端思想に惹きつけられ、その文学作品や絵画や彫刻に魅了されていた。モンマルトル界隈には、将来画家になろうという日本の若者が、日々の生活はつらくとも集まっていたのだ。
ところが、「文化の国」として世界に君臨していたフランスが、その地位を失ってしまった。画廊1つを見ても、1980年代まで世界の主な画廊はパリにあったのに、ニューヨークにその地位を奪われている。
かつてのフランスは間違いなく「文化大国」であった。ヨーロッパ共同体を提唱したシャルル・ドゴールも、「核兵器」より「文化力」を国力の指標とすべきだと言っていた。フランスの思想や文学や芸術は常に世界をリードし、だからこそ、日本を含め多くの国の若者がフランスの学府で一度は学びたいと願ったのだ。そういうフランスはもはやない。一体、どうしてそうなったのか?
個々のフランス人をとれば、優秀な科学者や技術者はいるし、すぐれた社会学者や人文系の学者もいる。しかし、彼らの多くはフランスを捨て、アメリカやイギリスで活躍している。何のためか?「金」のためである。
このことはフランス語がもはや「普遍言語」ではなくなり、経済力を誇るアメリカの言語が世界を跋扈する時代になったことと関係する。かつてフランス語はヨーロッパおよびロシアの知識人にとって、「最も美しく」「最もよくまとまった言語」だった。日本人もそれを知って、この言語に触れたいと思った時期があった。ところが今や、日本を含め、フランス語を学びたいという若者は激減したようだ。
英語が世界の「共通語」となったのは、世界の多くの地域をイギリスが支配していたからであり、また第2次世界大戦を終わらせたのがアメリカだからである。だが、植民地支配で栄光を勝ちとった国や、最強の経済力と軍事力を誇る国の言語が「普遍言語」になれるとは限らない。
世界中の人々はなにより「便利」だから英語を学ぶ。ところが、かつてフランス語を学ぼうと思った人々は、この言語を習得することで「賢くなれる」と思ってこれを学んだのである。というのも、フランス語は明晰で論理的に構成され、単純な語を用いて抽象的なことまで表現できる。これを身につけることは、確実に「教養」を培うことになったのである。
フランス語が思考の発達に適した言語であることは、日本国憲法の基礎にもなっている18世紀の「啓蒙思想」が示している。この思想は極めてわかりやすい言語で、かなり複雑な内容まで表現しきっている。人類史において、これほど簡明な言葉ですぐれた思想を表現したことはそれまでになかったと思われる。この言語と思想を知るか知らないかで、私たちの「知性」は大きく分かれるほどだ。
奥深い知を明快なフランス語によって表現した最初の人は、17世紀の哲学者デカルトである。このデカルトと同じ時期に、数学者にして神秘主義者でもあったパスカルも、簡明なフランス語で奥深い思想を表現している。この2人のフランス語がのちのフランス語の発展に寄与した。18世紀の啓蒙思想家たちは、いずれもがこの2人の影響を受けている。
「どんな数学の問題と解答も、5歳児にわかるフランス語で表現しなくてはならない」とは、あるフランスの数学者の言葉だ。これがフランス語の真髄であり、20世紀前半の哲学者ベルクソンを見ても、この伝統が継承されている。彼の書いたものに、難解な概念用語は1つもないのだ。
フランス語の明快さと、その簡易な語による複雑な思想を表現する力は、多くの人々の精神を目覚めさせる効果がある。また、簡明にして味わいのある詩的表現も、この言語が生み出したものだ。ところが、そうした美点が、いつの間にか消えてしまった。
たとえば、現代フランスを代表するといわれる哲学者デリダのフランス語を見よう。とうてい「フランス語」と呼べる代物ではない。ドイツの難解な概念用語のいじけた翻訳語の羅列。日本ではかつて一部の知識人が憧れたサルトルのフランス語にも、これがあった。サルトルとデリダでは思想傾向は逆かもしれないが、日常言語からかけ離れた言語を使っている点では一致する。こんな言語では「世の中」は変えられない。
フランス語はその真髄を取り戻さなくてはならない。そうすれば、世界はフランス語をもっと尊重するようになり、知性の偏向を正すことができるようになろう。今のままでは、哲学だけでなく、科学も、私たちの生活からかけ離れたものであり続ける。フランス語はその原点に還らねばならない。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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