ヨーロッパにて韓国を思う(後)韓流弁証法
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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏
今の時代、世界のどこにいても、あちこちのドラマや映画が観られる。いま私はヨーロッパにいるが、ネットで韓流ドラマを楽しんでいる。韓流ドラマは私にとって韓国を知るカギである。何年も見ているうちに、その特徴が独特の弁証法にあることに気づいた。
ドラマでは、たとえば「お前の親父さんを助けられなかった。すまない」と上司が言うと、部下が「それであなたを恨むことになったことが恨めしいです」などと答える。日本でなら、「いえ、ご心配なさらないでください。あれは不可抗力でした」と言うところだ。
日本人は「あなたを恨んでなんかいません」という意思表示をし、本音を抑止する。一方、韓流では「私はあなたを恨んでいる」と表明したうえで、そのような感情を抱くことになった自分を恨むという入り組んだかたちをとるのだ。これによって、部下は自責の念を表現しつつ、上司への恨みを表明する。
つまり、部下は自責の念を表明することで上司が自責の念から逃れるのを防止し、しかも上司からの反論を阻止するのだ。このような入り組んだ論法を、私は「韓流弁証法」と呼ぶ。同じ論法は人に詫びるときにも現れる。「あなたにはひどいことをしました。どうか、私を許さないでください」と言うのである。日本であれば、「すみませんでした」しか言えないだろう。
「許さないでください」は、日本人には言えない台詞である。「許すか許さないか」は相手の問題であって、こちらが関知することではないからだ。ところが、韓流ではこれをあえて使う。相手の心の中にまで踏み込むのだ。
この「心的領域の侵犯」が日本人には苦手である。一方、韓流においては、相手の心の中に踏み込まなければ相手と距離をつくることになり、それでは「冷たい」のだ。人間関係とは互いの領域に踏み込むことで成り立つ、という論理。これを韓流弁証法と呼ぶ。
こういう弁証法は、敵対する者どうしの共存を許さない。朝鮮戦争の終結が「休戦」にすぎないように、戦争はいつまでも続く。だから、北と南が統一されるには幾多の血を流さなくてはならない。日本の論理にはうまくすれば共存が引き出せるところがあるが、韓流にそれは無理だ。
このように言ったとて、「日本のほうが韓国よりマシ」と言いたいのではない。列島の民の考え方と半島の民の考え方とは、似ている部分もあるが、違いも大きい。この違いを知るか知らないかで、道は分かれる。韓流の恨みや謝罪の表現は、日本人には自己弁護的、あるいは自己防御的に見えよう。見かけとは裏腹に、相手を攻撃しているようにも見えてしまう。しかし、相手に対する理解がなければ、こうした表現は生まれない。韓流には、日本にはない「相手」観がある。
ある韓流ドラマで、妻と別居中の男性が、他の女性を愛しているにもかかわらず、別居していた妻が戻ってくるからという理由で、その女性に別れ話を切り出す場面があった。女性は深く悲しむが、それでも男の言葉を受け入れて去る。
一方、男性の方は、そうは言ったものの、彼女への情を消し去ることができない。そこでときどき電話をして再会を求めてしまう。一方の彼女はそれをそのまま受け入れ、彼に会えばこんな台詞を放つ。「あなたが私を愛していることは少しも疑っていません。だって、あなたは苦しんでいる。その苦しみが愛の証拠です」と。
この言葉には、相手の男性の勝手さも含めてすべてを受け入れる大きな愛があると思われる。男性はこれに抵抗できない。このような愛の表現をもつところに韓流の凄さがあるのではないか。恨みも憎しみもすべてを呑み込む愛、というふうに見えるのだ。
この愛の大きさには罠があることに気づかないわけにはいかない。優しさだけではなく、相手の心理を操作する力がそこに含まれているからだ。日本人なら、この場合どうなろう。このような大きな愛に達する前に、挫折してしまうのではなかろうか。
「愛」には相手への尊敬が含まれないのかもしれない。「愛」があるからといって、だから韓国の倫理性を高く評価するわけにはいかない。だが、相手との距離を保つことに留意する日本が、倫理性において優れていると言えるだろうか。相手を尊敬することはできるとしても、相手を癒す力はそこからは生まれそうもない。
日韓の違いを「文化の違い」で片づけるのは容易である。見方を変えて、物理学的に、「電磁力」の差と見てはどうか。韓国にせよ、北朝鮮にせよ、半島国家の電磁力は極めて高く、人は誰しもそのなかに巻き込まれてしまう。一方の日本は島国であるがゆえに、電磁場の力は弱く、よって人と人の距離を保ちやすいのである。
先にスペインと韓国を比べて地政学を持ち出したが、今回は電磁場という観点をもち出してみた。この観点からもスペインと韓国は近いように思う。ヨーロッパに来て、韓国がよく見えるようになるとは、予想もしていなかったことであるが……。
(了)
<プロフィール>
大嶋仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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