2025年01月08日( 水 )

2025年の年男(1)孫正義 (2) 「青雲の志」を抱き続ける不屈の投資家の半生

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 「怪物」が久々に脚光を浴びた。ソフトバンクグループの創業者・孫正義は、ドナルド・トランプ次期大統領に贈り物をした。それは米国で人工知能(AI)および関連技術に1,000億ドル(約15兆円)を投じるという約束だ。大ボラを次々と現実のものにしてきた不屈の投資家・孫正義の若き日の軌跡を3回に分けてたどってみよう。(文中敬称略)

人生の座標軸となる坂本龍馬に出会う

 73年4月、九州屈指の進学校である久留米大学附設高校に進学した。ところが、父が血を吐いて倒れた。大黒柱が倒れ、家族の危機だ。1歳上の兄は長男の責任をはたすため高校を中退した。そんなときに、孫正義は坂本龍馬(竜馬)と出会った。

 15歳のとき、家庭教師が司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』を勧めてくれた。

 「志高く」が、孫正義が、座右の銘ならぬ、人生の銘としている言葉だ。『竜馬がゆく』の小説を読んで坂本龍馬に共鳴したのだ。

 孫正義が魅せられたのは、龍馬が脱藩に悩む場面だった。家族に被害がおよばないかと恐れて、龍馬は脱藩を実行できないでいた。

 このとき、龍馬の姉がこう言った。
「おまえは土佐に納まりきれる男じゃない。もっと、なにやら、でっかいことをやる(男だ)。自分たちにはかまわず、行って来い!」

 孫正義は差別とか、人種とかに悩むことが、どれほどつまらないことかと悟った。一度だけの人生、何か大きなことをしよう。日本一の事業家になろう。米国に留学することを決めたのは、龍馬の脱藩のような気持ちからだった。

 後年、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』で、脱藩の場面を見たとき、孫正義はとめどなく涙があふれたという。自分の米国留学のことを思いだしたからであろう。

病気の父をおいて渡米

国際線 イメージ    高校1年の夏休みに英語研修ツアーに参加して、カリフォルニア大学バークレー校で語学研修を受けた。米国の自由な空気に衝撃を受けた。さまざまな人種、移民が生き生きとしている。ここでなら、自分も韓国人として生きていける。1カ月の語学研修の間に米国で大学生活を送ることを決断した。

 いったん帰国し、孫正義は家族に「高校を中退して米国で学びたい」と打ち明けた。父親が血を吐いて入院しているときだ。孫正義は親戚からこっぴどく叱られた。

 「親が倒れて入院しているときに、なんでおまえは米国に行くなんてことをいえるんだ!冷たいやつだ」とののしられた。担任の先生からも校長先生からもクラスメートからも「米国行きは大学からでいいのではないか」と諭された。

 母親は泣きながら孫正義にしがみつき、反対した。
「病院の先生に聞いたら、親父は死にはせんというとる。これから何10年先のことを思ったら、家族のためにも、家族を超えて、自分が何かことを成すために人生を捧げたい。だから、わしゃ行ってくる」

 母親の涙を振り切り、病気の父親をおいて米国に渡った。16歳のときだった。自分の行動を坂本龍馬の脱藩と重ね合わせた。孫正義の最初の大勝負である。

 「でっかいことをやりたい」。これが孫正義の「志」の芽生えでもあった。しかし、このときは、まだ、何をやりたいかというところまでは見えていなかった。

【森村和男】

(つづく)

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