家のなかに「怖い場所」、かわいい子には旅をさせよ(中)
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怖い存在に現在地を知る
母方の祖父は優しくもあり、厳しさと包容力を持ち合わせていた。戦争を経験している世代は、やはり怖さも、厳しさも、そして強さももっているように感じた。私が小学生のころ、人として強烈に怖いと感じていたものに、体育の先生、サッカーの先輩、近所に住む顔見知りのおじさんがいた。もちろん怖さや厳しさを兼ね備えていて、本当は私が知らなかっただけで、優しい一面もあったのかもしれない。しかし、どこかで怖さゆえの大きな存在として超えられない壁を、その人たちから感じていた。一緒に住んでいた父方の祖母も厳しい人だった。そしてあの“おにおばけ”もそのなかの1つだ。
「これ以上やったらあの先生にこっぴどく絞られるな」──恐怖の先生が1人存在しているだけで、学校生活にも緊張感が走る。「先輩からどつかれる…」──部活の上下関係は、ほとんど主従関係(子どもの世界での許容範囲の話)。今では笑って話せる思い出話だが、昭和のころの上下関係は、思った以上に厳しかった。同級生で結束を固めて先輩に挑むことも、そこを超えていく方法はないかと頭を悩ますこともあるだろう。友達同士で苦楽をともに、冷や汗をかく充実感も…。
怖い大人の存在というのは、自活ままならない子どもにとっては、それ以上踏み込めない大きな壁としてそこに立ちはだかる。しかし、厳しく徳を説いてくる祖父に対して、一方では理由も聞かず、一切合切を優しく包み込んでくれる祖母という存在もあった。その両者のような交錯によって人間感情の奥深さを知り、子どもなりの分別が浮き彫りにされていったように思う。本当は「怖さと優しさ」はそれぞれ単独では意味がなく、常にセットで語られる必要があるのかもしれない。
少なくとも怖い大人の存在、大きな威厳、厳しい人との接点は、一定の規律を生んでいた。緊張感が人の襟を正させ、ここでいいのかと現在地を知る。これ以上はバカはやれない、ここは抑えなければならない、あいつに相談しよう、そしていつか見返してやろう…。ブレーキにもアクセルにも変化する、感情を揺さぶる起爆剤が、仲間をつくるきっかけが、近所にはたくさん転がっていた。
今は、恐ろしい(怖い)存在というものの種類が変わってきているのだろうか。「武骨でカッコいい存在」と言い換えてもいったほうが良いのかもしれない。どこかで自省できるような存在が、またいつかは超えてやるんだという反骨精神を揺さぶってくれる“愛すべき近所のおじさん”的な存在は、現代社会ではどんどん減ってきている。すべてがそこに起因するわけではないが、人の成長過程において、ピリッと手厳しい存在は、思った以上に人を大きく育ててくれる。
人は弱い存在だ
現代の子どもたちは、“温度”や“重さ”の見えにくい「言葉」を多用し、人と接する。その加減が暴走して関係を深めるどころか、テキストの応戦が神経を擦り減らす。古い言い回しで、「こぶしで語る」などと言われた。肉声でぶつかることも少なくなった昨今、文字で会話し、通信で人とつながり人間関係を保つ。意見のぶつかりは空中戦で闘い、肌でぶつかる程度を超えていく。きれいで便利で快適な社会で暮らし、人からの体当たりを知らずに育っていく。その平和な暮らしを定常位置に据えて、自省に向く機会も取りこぼし不条理な経験も、幸か不幸か少ない時代下にある。バリアされた無菌室だけで育てば、やはり人の耐性は弱くなる。
『子どもを不幸にするもっとも確実な方法は、いつでも、どんなものでも、手に入れられるようにしてあげることだ。』―ジャン=ジャック・ルソーの言葉だ。安全、安心、便利、快適を抜き取るわけではない。だが、愛情を土台に敷いた「怖さ」「厳しさ」も子どもから遠ざけてしまっていいものか。無用に脅すわけではない、恐ろしい経験を恣意的に企むわけでもない。だが、手取り足取り、据え膳上げ膳、真綿にくるむようにすべての障壁・外敵・社会通念から遠ざけ、大人が、親が子どもを過剰に庇護する。ルソーが言ったように、大人がその囲い込みに振り切ってしまえば、その支配下にある子どもは、それが常套の世界になる。
人は弱い、支え合って生きているもののはず。個々において弱いからこそ、さまざまなことで組織をつくり、集団でコラボレーションをする。自身で厳しさを乗り越え、人との対話で解決に向かう。だからこそ、ここまで地球に広がり、生き延びて来られた。弱さを今一度立ち戻って考えなければ、“人は強いから…”と、勘違いしてしまう。
凸凹を埋めていく
山ですれ違う人たちは、(一部の例外を除いて)ほとんどの人が挨拶をする。“こんにちは”と。登山の経験がある方はおわかりだろう。おそらく都市のなかで会っても、挨拶は交わさない。山で出会うだけで、同じ人間なのに軽やかに口を開くのだ。
これは自然のなかに入ると、人間は弱い存在だと自覚する。だから助け合わないといけないと、魂が求め合うのだという。つまり、挨拶を交わすことで自分の存在を知らしめ、何かあったとき協力し合いましょうと、無意識下で協定を結んでいるのかもしれない。実際、挨拶は「気を交わす」ということで、顔を覚えることにつながる。今のようにスマホがない時代、捜索隊は「この人見ませんでしたか?」と言ってすれ違った人に聞くという。すると、だいたいこの辺まではいたらしいというエリアを特定でき、捜索範囲を固めた。自然とその協力体制を培ってきたのが、山での挨拶文化というわけ(山で倒れた人がいたら、なおのこと、人は積極的に協力し合うことだろう)。
山を下りたときはどうだろうか。「弱いから助け合う」人と人とで不足しているところを補完し合って、強みと弱みを交換しながら凸凹を埋めてきたのが人類の歴史。しかし、自分たちは弱い存在なのだという身体感覚を、私たちはどんどん忘れ始めてはいないだろうか。都市のなかで我々は、強い存在なのだと胡坐をかいて高をくくっている。効率化されたシステムにばかり頼る社会が続けば、人類の助け合い、ひいては人同士のコラボレーションは衰退してしまう。自分が困ったときは誰かに助けを求め、それに応じて人の輪が広がるような地縁は今、根絶の手前まで押し寄せているようだ。自然のなかでできることを、我々は都市のなかでも実践しなければならない。地域のコミュニティを復活させていかなければならない。怖さのなかに支え合うヒントがある。
(つづく)
<プロフィール>
松岡秀樹(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。月刊誌 I・Bまちづくりに記事を書きませんか?
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