科学から日本を見る(1)科学から物事を見るとは
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福岡大学名誉教授 大嶋仁
生物物理学という学問があるという。ウィキペディアには、「生命システムを物理学と物理化学を用いて理解しようとする試み」とある。
本来、「物理学や化学では生命現象を十分に捉えきれないのでは」と危惧されてきた。しかし、私たちの時代は科学の時代。科学といえば、何より物理学と化学だ。これを避けて前進できない。むしろ、徹底的にこの方向で生命を解明してみてはどうかと思う。
明治から大正にかけて活躍した物理学者の寺田寅彦は、「生命は科学によって解明されることで滅びるわけではないし、芸術も、宗教も、科学を受け入れなくては、ただの古い思想になってしまう」と言っていた。今にして卓見と思う。
なるほど、私たちを脅かし続けてきた新型コロナウイルスも、ウイルスであるからには生物である。このウイルスについて、HIVウイルスの発見でノーベル賞に輝いたフランスのモンタニエ博士は、「人為的につくられたウイルスだ」と言っていた。彼がそう発言できたのも、生命現象を物理化学的に解明できる人だったからだ。
生命を物理学的に解明する生物物理学は、細胞の分子構造を研究する生化学とはちがって、個体としての生物から生態系に至るまでの広大な範囲を射程に入れているという。そんな規模の大きな学問があるとは想像もしていなかったが、そうなると、1人の研究者には無理な話だ。専門の異なる研究者が集まっての学際的共同研究となって当然である。
そういえば、東大で生物物理学の共同研究に参加しているという若いインド人物理学者と会ったことがある。日本の大学に、同じテーマのもとに世界のあちこちから異なった専門の研究者がきているのだ。
それに引きかえ、私が属していた人文系の学問はどうかというと、いうも恥ずかしいほどだ。たとえば日本史や日本文学の学会では、研究者のほとんどが日本人研究者の書いた論文しか読んでいないのである。すでに世界のさまざまな国に日本研究者がいるのに、この遅れ。「日本のことは日本人が一番よく知っている」という錯覚が禍いとなっている。
心理学では、「自分を一番よく知るのは自分ではない」といわれる。人間は「自分のことは自分が一番よく知っている」と思い込んでいるが、自分の考えや行動は思っている以上に環境の産物であり、また自身の無意識から発生していることが多い。このことを認めるには相当の修養が要るというのだから、「日本のことは日本人が一番よく知っている」と思っている日本人は、「修養」が足りないということになる。
自然科学の世界では、研究者のアンテナが常に世界中の情報をキャッチしようとしている。私の知る若い動物学者は、少なくとも自分の専門領域についてはインターネットを通じて世界中の研究者とつながっていると言っている。彼の英語力はたいしたものではないが、それでも外国人の書いた論文は読めるし、彼が日本語で考えたところを人工知能を用いて英語にし、それを読み直して修正を加えては世界に発信している。
本人はいう、「便利という以上に、楽しいですね。研究がどんどん広がっていくし、時には海外に出て、論文を通じてしか知らなかった人と実際に会って一緒にコーヒー飲んだりできる。オンラインで学会があれば、質問や討論もできるし」
もちろん、人文系の先生方にも言い分はあろう。「科学における数学のように、世界を結ぶ普遍言語というものが我々にはないのだから、どうしても研究は内向きにならざるを得ない」と。
なるほど、日本語の世界をそのまま英語やフランス語、あるいは中国語に置き換えることは難しい。互換性のない場合も多い。だが、それなら「引きこもり」を決め込めば、それで済むのだろうか?
生物物理学に話を戻すと、生命現象を物理化学的に解明することには限界がある。なぜなら、生命現象があってこそ学問や芸術が生まれるのであって、人類文明も諸文化も、すべて自然あってのものだからだ。しかし、だからといって、人間は自然を考えずに生きるわけにはいかない。「自然とは何か」「どうすれば自然を理解できるのか」。そうしたことを探求せざるを得ない。
先にも述べたが、生物物理学の射程は広く、かつては生物学者が毛嫌いしていたシステム生物学までがそこに入っている。生物世界をシステムと捉えるこの生物学は、生き物を解剖してその細部を調べようとする生理学とは逆行し、物理学とは結びつかないものとされていた。ところが、現在は「システム」という考え方が物理学と結びついている。「大いなる進歩」というべきだ。
システム生物学といえば、「生命体は研究室で解剖される死んだ物体ではなく、周囲の環境と不可分な運動エネルギーだ」という発想が基礎にある。となると、これを基に人間社会を考えることもできそうだ。日本社会も、この角度から見直すことができるのではないだろうか?
(つづく)
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