科学から日本を見る(2)科学から日本社会を見ると
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福岡大学名誉教授 大嶋仁
システム生物学が軌道に乗り出したのは第二次世界大戦後という。20世紀の初めに生まれた物理学者エルサッサーは、原子を研究する物理学を「複雑で予測不可能な世界を遠ざけてきた学問」と判断し、気象現象の研究へと転向し、さらに地球物理学へと進んで、地磁気の根源をつきとめた。しかし、それでもなおおさまらず、最後は生物学者となっている。その彼の生物学は、今日いうところの「システム生物学」なのである。
その彼より半世紀ちかく前に生まれたユクスキュルは、「環世界」という言葉を発明し、動物がそれぞれに環境へ適応することで、おのおのの世界観を抱くに至っていると提唱した。一種のシステム生物学を構築したのである。
そこでいう「システム」は動物と環境が一体となったもので、この一体化は動物の持つ感覚器官によって実現する。種によって備わっている感覚器官がちがうため、環境との一体化の仕方も異なり、そこからおのおのが独自の世界観を形成するに至ったというわけだ。
たとえば、単純な感覚器官しか持たないダニは、重力を感じて移動し、温度差を感じることで血の気のある哺乳類とそうでない生物を識別する。目などなくても、生き血を吸えば生きていけるのだから、そこから出来上がる世界観も単純であるという。
さて、ユクスキュルのいう「システム」を人類社会に応用したのが、人類学者のレヴィ=ストロースである。彼は「システム」の構造面に興味をいだき、社会構造、それを維持するための婚姻制度の構造、さらに社会を思想的に維持するための神話の構造などを解明した。
ユクスキュルとレヴィ=ストロースのちがいは、前者が動物を個体単位でとらえ、「個体生存」の原理を基に考えたのに対し、レヴィ=ストロースが人類を「集団」単位で捉え、「個人を社会の函数」と見たという違いである。「個人とは社会が生み出した概念である」とは、彼の師匠デュルケームの言葉だ。
レヴィ=ストロースが専門としたのは「未開社会」であるが、なぜそうなったのか?「未開社会」のほうが歴史的変化の影響が少ないため、「構造」が見えやすいからだ。彼はそういう社会の研究をつうじて、人類の原初にあったはずの構造を明らかにし、そこから今度は文明社会の問題点を照らし出した。しばしば、現代文明に鋭い批判を放っている。
実は、このレヴィ=ストロース、日本社会の在り方に人類史の可能性を見出してもいる。急速な近代化とグローバル化で崩れかかっているこの社会は、とてもではないが「理想」とは見えないが、彼のように遠隔から見ればそう見えるのかもしれない。
彼に言わせれば、日本社会は「文字」という文明の利器を知るのが遅かったため、「歴史」的な発想が未発達で、それだけに人類の原初にあった「神話」的発想が残っている。日本文化は、その結果常に「歴史」と「神話」の中間にあって、必要とあらば「歴史」に門戸をひらき、不必要とあれば「神話」に戻ることができるというのだ。
言われてみれば、そんな気もしてくる。というのも、たとえば私たちの宗教を見ると、キリスト教や仏教のようなはっきりした思想になっていない。自然信仰のようであり、神話があるのかないのかわからない程度の神話的雰囲気に包まれている。神社もお寺もありがたいもののようだが、お寺も山寺であればこそ厳かに感じられ、およそ「文明社会」の仏教とは正反対を向いている。そういうのが基礎にあるから、日本社会は「文明」と「未開」の中間にあるといえるのかもしれない。
しかし、鎖国によって社会構造を守った江戸時代はいざ知らず、明治以降の日本は西欧文明の圧倒的な力に潰されそうになり、その圧力がいまやアメリカから発信されてあえぎ苦しんでいる。「一体、日本社会は生き残れるのだろうか」と気掛かりにならざるを得ない。
実は一度パリでレヴィ=ストロースに会ったとき、このことを尋ねてみたことがある。すると彼はこう答えた。「日本はこれまでは何とかやってきた。ここからが踏ん張りどころですね」と。
「ここからが踏ん張りどころ」と言われても、何をすればよいのか。政治家や財界の人々は、こうしたことをどう考えているのか。国民にはまったくその自覚がないように見えるが、このままで良いわけがないだろう。
私が抱く危惧は、レヴィ=ストロースの著書の翻訳者である川田順造も共有していたものだ。彼は恩師レヴィ=ストロースに日本の自然開発の乱雑さを訴えたが、これに対して「恩師」はあっさりと「日本の面積の7割は人が住んでいません。これだけでも自然開発が乱雑とは思えません」と答えただけだ。あくまでも遠眼鏡で世界を見る人類学者に頭を下げざるを得ないにしても、それで安心できるわけではない。彼が日本について行っていることはありがたくても、「日本はこのままでよいのじゃ」とは到底いえないのである。
(つづく)
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